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「東海道四谷怪談」上演200年目 実在した〝良妻〟お岩さんの面影を訪ねて 現着しました!

産経ニュース / 2024年7月4日 21時38分

卒塔婆の志主(送り主)には歌舞伎界の人間国宝の名前もみられた=豊島区西巣鴨

「夏といえば」で連想されるものは数あれど、ひと時の涼をもたらす怪談話は外せない。その怪談話を代表するのが、ほかならぬ「お岩さん」だろう。彼女が登場する歌舞伎作品「東海道四谷怪談」は今年、初上演から200年目の節目を迎える。日本人を震え上がらせてきた幽霊ゆかりの地を訪ねた。

日本芸術文化振興会などによると、東海道四谷怪談が初上演されたのは文政8(1825)年7月26日、舞台は江戸にあった芝居小屋「中村座」。お岩さんを含め1人3役をこなしたのが三代目尾上菊五郎だった。狂言作者である四代目鶴屋南北が71歳のときに世に放った作品で、「怪談といえば夏」のイメージが定着した一因とされる。

モデルの女性

夫の伊右衛門に毒を盛られ、顔が醜くなって恨みながら死んだお岩が復讐を果たす-。日本一有名な幽霊は、江戸時代初期に実在した田宮岩という女性がモデルになっている。亡くなったのは、歌舞伎作品の初上演から約200年さかのぼった寛永13(1636)年と伝えられる。

実在の人物であれば当然、墓もある。向かった先は「おばあちゃんの原宿」で知られる東京・巣鴨から都営三田線で1駅、西巣鴨駅に近い妙行(みょうぎょう)寺。入り口には「明治四拾弐年四谷より移轉(転)」と彫られた石碑があり、その横には「お岩様の寺」とも。23世住職を務める松村観宗(かんしゅう)さんに話を伺った。

「東海道四谷怪談」の演目通り、お岩さんが暮らした田宮家の屋敷は、東京メトロ丸ノ内線の四谷三丁目駅からすぐの新宿区左門町にあった。松村さんによると、田宮家の菩提寺である妙行寺も同じ四谷にあったが、明治末期の都市計画によってこの地に移転することになったという。

境内の案内に沿って進むと、墓石が並ぶ奥にひと際立派なその墓はあった。周囲は故人を供養する「卒塔婆」で隙間なく囲まれており、一帯は何ともいいがたい迫力を放つ。

ところで、怪談ではおどろおどろしく描かれるお岩さんだが、実際は良妻賢母を絵に描いたような女性だったという。このため、死後には彼女が信仰していたという四谷の社は「お岩稲荷」と呼ばれるようになり、多くの人が参拝に訪れた。同じ場所には現在、於岩稲荷田宮神社が立っている。

幽霊との関連

なぜ歌舞伎ではあの強烈なキャラクターにされてしまったのだろうか。松村さんが「詳しいことは不明ですが…」と前置きした上で、こんな話を聞かせてくれた。

「お岩さんが亡くなってから180年後に、四谷の屋敷の前にあった長屋で疫病がはやり、同じころに、なぜかお岩さんの戒名が改名されたのです」

死去から180年後の文化13(1816)年といえば、東海道四谷怪談初上演から9年前にあたる。ひょっとしたらこの疫病がお岩さんと関連づけられ、それを聞きつけた鶴屋南北が身の毛のよだつあの話の着想を得た、というのは考えすぎだろうか。

お岩さんが眠る妙行寺には、先々代住職の手による墓の説明書きがある。要約すると「お岩さんは夫と折り合いが悪く、病身となって亡くなられた後、田宮家ではわざわいが続き…」といった内容で、こちらは創作された東海道四谷怪談に登場するお岩さんに近い印象を受ける。だが、松村さんは「創作によって出てきた噂のようなものが先行したのでしょう。事実は違うと思います」との見方を示した。

著名な志主も

お岩さんの墓前にある卒塔婆の一本一本をよく見ると、志主(送り主)として「片岡仁左衛門」「板東玉三郎」など歌舞伎界のビッグスターや、「松竹株式会社」といった映画会社の名前が確認できる。歌舞伎、映画、ドラマなどお岩さんに関わる人々は、公演の成功や円満な作品づくりを願って、必ずこの場所を参拝にやってくるという。

真逆ともいえるお岩さんの人物像。どちらが真実なのか。江戸に生きた一人の女性に思いをはせずにはいられない。怪談を楽しむ側もぜひ、妙行寺に足を運んでみては。(宇都木渉)

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