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昭和48年生まれの私 アルピニスト野口健さん「昭和は日本人が冒険した時代」 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース / 2024年9月29日 8時50分

欧州最高峰のモンブランに登頂した野口健さん。高校2年生の16歳だった(野口健事務所提供)

中東で過ごした幼少期

昭和という時代を一言で表すなら「勢い」ですね。父が外交官だったので、小学3年だった昭和57年から数年間、エジプトの首都カイロで過ごしました。そのとき、世界一過酷といわれたパリダカ(自動車レースのパリ・ダカール・ラリー、現ダカール・ラリー)で三菱(自動車)のパジェロが優勝するんですよ。

現地の学校で学年が上がるにつれて、街からベンツやプジョーなどの欧州車が減り、トヨタやマツダといった日本車が増えていくんですよね。ソニーのウォークマン(携帯型カセットプレーヤー)もブームになっていたな。短期間のうちに、遠く離れた中東の国に日本人の姿が目立つようになった。これが僕がいう「勢い」の原体験です。

そう思うと、山屋(登山家)の世界でも同じだと気づかされます。ヒマラヤには各国から登山隊が集まりますが、昭和から平成へ、そして令和となったこの数十年のうちに日本隊から20、30代の若い登山者の姿が減ってきました。いまや完全に中心は60、70代となっています。

冒険は国の勢いと密接につながっている

アジア勢では中国やインドネシア、マレーシアの隊に若い人が多い。韓国隊も多かったけれど、この10年で減りました。もちろん、日本は高齢者がそれだけ元気だということでもあるけれど、若い人が多い隊は勢いを感じさせます。

冒険は、その国や社会の勢いと密接につながっているんでしょうね。昭和は日本人がすごい冒険をした時代なんですよ。日本人初のエベレスト登頂、世界初の五大陸最高峰登頂を成し遂げた植村直己さん、日本人初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功した堀江謙一さん。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんもそう、昭和に数多くの冒険に挑んでいますね。

当時は日本がまだまだ貧しい時代でしたが、国が団結して、エネルギーがあふれているような社会の空気があったと思います。その後、バブル経済を経て、豊かになっていく一方で、勢いは失われていったのかもしれません。

富士山も風景変わった

僕が登山を始め、富士山での訓練を経て八ケ岳の天狗岳(長野県)に登頂したのが平成元年。翌年、七大陸の最高峰登頂を決意し、当時の世界最年少記録を樹立したのが11年です。まだ、昭和の勢いのなごりが残っていました。

テレビドラマの「太陽にほえろ!」の派手なアクションやオーバーな表現はいま見れば荒唐無稽かもしれませんが、昭和世代には、いい意味でも、悪い意味でも人間臭さを感じます。

僕が清掃活動を続けている富士山も無謀な観光登山が増え、昭和のころとは風景が変わっています。エベレストも一般の登山者がガイド役のシェルパと登頂できる時代になりました。

だから、山屋は6千メートル級の前人未踏の山を探して登るようになった。この前も知人が「山に登ってきたんだ」と話していたんだけれど、どこにあるのって尋ねるような名もなき山です。

昭和、平成、令和と登山の環境は大きく変わりました。それでも、冒険を求める心は失いたくないものです。(聞き手 梅沢直史)

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