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「偉い人」の言うことは信用できない 正邪じゃなく損得で動く、きっちり見極めてやる 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<9>

産経ニュース / 2024年10月9日 10時0分

高校生のころ

《日本の敗戦から、しばらくたった、昭和20(1945)年秋、学校の授業が再開されたのだが、内容ときたら…》

驚いたことに、学校の先生がそれまでとは百八十度違うことを言い出した。曰(いわ)く、あの戦争は〝悪の戦争〟だった。日本はアジアで侵略戦争を行った。正しいのは欧米諸国である。そして、軍隊や戦争は絶対にダメ。日本を平和の国にしなくちゃいけない…ってね。

先生だけじゃありませんよ。新聞・ラジオのマスメディアも同じことをやった。僕らは大混乱ですよ。僕が、〝偉い人(教師やメディア)〟の言うことは信じられないな、って感じたのはこのときです。

学校の授業で最初にやったのは、これまで使っていた教科書に「墨を塗る」こと。戦意高揚や軍事的なこと、神道につながる記述などを見えないように真っ黒に塗り潰す。先生の指示で児童自身がやったのかな。以前は、教科書も天皇陛下から頂いた物だとして〝押し頂いて〟いましたから、あまりの扱いの違いにビックリ。まぁ塗り潰す行為自体は面白くて、心の中では結構楽しんでやったように記憶していますけどね。

《GHQ(連合国軍総司令部)の方針によって、学制も変わった。それまでの「6・5・3・3制」から「6・3・3・4制」へと変更され、中学は義務教育となる》

僕らが新制中学(彦根市立東中学)の1期生。小学校6年の2学期までは(旧制中学を)受験するため必死で勉強していたのに3学期になったら、「キミたちから中学は新制になる。義務教育になった」って聞いて、がっくりですよ。

中学でも〝日本軍は悪〟という教育を受けた。「軍国少年」だった僕は、まるで違う価値観を消化するのに少し時間がかかった。平和な国や、二度と戦争をしない、という理念については割と、すんなり、受け入れられましたけどね。

スポーツが好きで、小学校のころから、野球と相撲に熱中していました。同時に絵を描いたり、文学作品を読んだりも好きでした。夏目漱石や森鷗外、山本有三、倉田百三(ひゃくぞう)など。図書館で借りたり、家にあった本を貪(むさぼ)るように読み、中学のころには「作家になりたい」という気持ちが強まってゆきます。小説めいたものを書き始めたのも中学のころだったかな。

学校の成績ですか? まぁ良かったですよ。授業では、やたらと先生に質問する生徒でした。とにかく「疑問」があると聞かずにいられない。先生も面倒がらず、結構面白がってくれたんじゃないですかね。

《滋賀県立彦根東高校へ入学したのは、昭和25(1950)年4月。6月には朝鮮戦争が勃発し、日本の社会も混乱の渦(うず)に巻き込まれてゆく》

彦根東高校は、以前の旧制彦根中学。かつては彦根藩の藩校で校舎は彦根城の中にありました。滋賀県の公立では膳所(ぜぜ)高校(大津市)と並ぶ名門です。

朝鮮戦争が始まったのは入学して間もなく。日本を軍事的に無力化しようとしたアメリカの方針も変わります。日本を兵站(へいたん)基地、共産勢力と戦う「盾」とすべく、その年の夏には後に自衛隊になる警察予備隊がGHQの指令で創設されたのです。

すると、教師の言い分もまた変わる。ある先生が「朝鮮戦争をどう思う?」と聞いたので僕が「戦争には絶対反対です!」と答えたら、先生から、「バカヤロー、お前はいつからアカ(共産主義者)になったんだ」と怒鳴られた。

ショックでしたね。偉い人は正邪じゃなくて損得で動く。それをきっちり見極めてやるぞ、と心に決めたのです。(聞き手 喜多由浩)

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