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米国担当の「うらおもて」 小泉純一郎氏、一瞬で父ブッシュ氏の心を鷲づかみに 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<18>

産経ニュース / 2024年9月19日 10時0分

在米大使館公使、北米局長、駐米大使とずっと一緒だったカート・キャンベル現国務副長官とわが夫婦

《外務省生活の後半は米国関係が増えた》

ロンドンの国際戦略研究所、在英大使館政務参事官の後、東京に戻り、即位の礼準備事務局、中東貢献策タスクフォース、官房課長を2つやった。その後、アジア局参事官を経て在米大使館で働くことになった。次に駐米大使になることになっていた斎藤邦彦事務次官とはそれまで一緒に仕事をしたことはなかったので、川島裕アジア局長(元外務事務次官、元侍従長)が推薦したのだろう。斎藤大使は条約畑で、温厚だが勘が鋭く、ムダなことはしないので有名で、ピアノほか幅広い趣味を持ち都会的なセンスの人だった。まったく対照的な私をなぜか気に入っていただいたようで、政務公使を4年間務めた。帰国後、北米局長になり3年間務めた。

《ワシントンの政務公使の特徴は何か》

大使館の政務の仕事は、一般的にはその国の政治の報告や日本との関係だ。しかしワシントンの場合、米国が世界のあらゆることに関係しているので、おのずと世界情勢全般もフォローする。ロシアも中東も中国も北朝鮮も中南米もだ。何か起これば東京は米国政府の情報や対応を知りたいと考える。時差が13、14時間あるので米国務省、国防総省の幹部らと夜中でも電話できる関係をつくった。また沖縄普天間返還交渉など日米2国間の懸案に参画した。

《北米局長時代、「小泉・ブッシュ関係」が始まるが》

小泉純一郎首相の就任1カ月後に、ジョージ・H・ブッシュ元大統領(父)がコンドリーザ・ライス元補佐官を連れて来日し首相に会見した。同席者は3人だけ。父元大統領は、4カ月前に大統領に就任した息子ジョージ・W・ブッシュ氏の相手となる日本の新首相を見定めようと思ったのだろう。首相は会談中、映画『真昼の決闘』が好きだと言って急に立ち上がり、ゲーリー・クーパーの身ぶりをした。一瞬で相手の心を鷲(わし)づかみにした。父ブッシュ氏は目を輝かせて「あなたは息子とピッタリだ。きっといい友人になる。息子にすぐ話す」と言った。その翌月のキャンプデービッドへの招待、翌年のブッシュ大統領の訪日につながる。「将を射んと欲すれば先(ま)ず馬を射よ」と言うが、勝負どころの抑え方に感服した。

《基地問題にも携わった》

米軍基地は必要だが、常に削減、周辺住民の負担軽減を考えることが大事だ。米兵が事件を起こし、その基地の全員に外出禁止令が出る場合、早過ぎる解除をしないよう折衝した。

厚木基地では毎年航空ショーをやっていた。全国からファンが集まり、基地側もハンバーガーを振る舞って親睦の集まりとして人気があった。しかし周辺住民の一部からは騒音の苦情があった。私は航空ファンよりも周辺住民の感情が大事だと判断して中止を申し入れた。長年続いていたこともあり、在日米軍や在京大使館は納得しない。それでは、とハワイで在日米軍の上級司令部の太平洋空軍司令官に直接申し入れると、「好評と聞いていた。周辺から反発があるのであれば再考する」と回答した。頭越しの申し入れに反発もあったが、飛行はやめて地上展示方式に切り替わった。

韓国外務省北米局長との意見交換を思いつき、課長レベルも入れた日韓北米局の定例協議をつくり相互往来を開始した。

イラク戦争(2003~11年)が勃発すると、その10年以上前の湾岸戦争(1990~91年)時に米国から要請されていた支援希望リストを引っ張り出してインド洋給油などの支援項目を選んだ。普天間の問題もそうだが、いつも古川貞二郎官房副長官のところに防衛省と集まり調整した。

2001年にハワイ沖で米原潜が宇和島水産高校の練習船、えひめ丸に衝突した事件では探索期間の延長、船・遺体の引き揚げ、米海軍代表の愛媛県訪問など米側にいろいろ要請し折衝を重ねた。(聞き手 内藤泰朗)

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