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3000安打達成とイチロ-への思い ガッツポーズの鉄則を破り、山口投手に謝罪する 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<24> 

産経ニュース / 2024年12月25日 10時0分

3000安打を達成し、ヘルメットを放り投げる=昭和55年5月28日、川崎球場

《野球人生で〝ただ一度のヤマを張った〟?!》

3000安打達成は昭和55年5月28日、川崎球場の阪急(現オリックス)戦でした。1打席目に谷村智啓からヒットを打った後の4打席目、若い山口高志に代わった。球が速い。これは絶対打てそうもない。でも山口は10球投げたら9球は真っすぐです。だから1球目に〝大ヤマ張った〟んです。それまでヤマを張ったことがない。あのときだけ、〝イチ、ニイ、サン〟でヤマを張って打った。1球目の真っすぐです。自分でもびっくりするような当たりでした(右翼最上段の危険防止ネットを大きく揺るがせる特大アーチ)。

自分が打った中でもトップクラスの打球でした。後で映像を見たら一塁へ向かうとき、ヘルメットを放り投げ、手を高くあげていたんです。あくる日、山口に謝ったんです。「申し訳ない。いつもはいかにも勝ち誇ったような格好をしたことはないんだけどな」って。「先輩、気にしないでください」で済んだけどね。

ガッツポーズは、絶対に肩より上に手をあげてはいけないんです。肩の下なら「自分で自分をほめているポーズ」です。肩の上だと「オオ、お前をやっつけた」となる。それはいかん、逆ならどう思うか。だから山口に謝ったんです。後に解説者になったときも、必ずそれは言ってました。

《大記録達成で即引退が…》

達成したときヘルメットを飛ばした。髪が伸びていた映像が残ってるんです。解説者をやらなきゃって準備してた。実は3000安打を達成したら、辞めようと思っていたんです。当時守備にもつかず、DHで体もなまっていた。打てる球をファウルチップし、空振りする。そろそろ潮時かな、と思っていたんです。

打った直後、山内(一弘)監督に「辞めます」と話すと「あかん、あかん、もっとやれ」って。あくる日、松井静郎球団社長を訪ねると、「今年いっぱいはやってくれ」。オフになったら「もう1年やってくれ」ですよ。冗談じゃありませんよって思ったが、重光武雄オーナーに呼ばれて「給料は下げないから」と言われましてね。

あの年は2割6分1厘(89安打、12本塁打)です。給料もずいぶんもらってましたよ(推定=3960万円)。半分くらい下げられてもしかたがないけど、下げないという。欲があるよね、人間というのはバカだよな。続けたことで生涯打率も下がったんだな(※生涯打率は3割1分9厘。ちなみにライバルの王貞治さんは3割1厘、長嶋茂雄さんは3割5厘)。今でも後悔してますよ。

《イチローに抜かれた日》

3085安打の私と王の868本塁打、金田(正一)さんの400勝で日本球界のトップということで「3大球一会」というのを作っていたんですが、イチローが出現して、記録が破られて解散しましたよ(笑)。

彼の新記録達成のとき、シアトルのセーフコフィールドまで行きました(現地時間の2009年4月15日)。彼がね、もし日本にずっとおったら3000本はおろか、今の数字(日米通算4367安打)は残しています。イチローは特別なバッターです。日米にまたがってますが、もう4000安打なんて今後、出ません。

私は川上哲治さん(通算3割1分3厘、2351安打)が一番だと思っていたけど、打者ではイチローが群を抜いている。ヒットを打つ天才です。どんなコースでもバットを最短距離でぶつけ、右方向にも左方向へも鋭く打てる。左打者で足が速い。内野安打が多いと言う人がいますが、それも記録です。

ずっと日本にいたら首位打者を12、13回は取ってます(日本では張本さんと並び7回)。それくらい認めてます。解説者になって練習を見たいなと思ったのは、イチローと右打者の落合(博満)の2人だけです。(聞き手 清水満)

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