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戦争遺品「社会の記憶」として残す意識を 見せる展示にデジタル化、模索続く 継承の灯ー戦後79年㊦

産経ニュース / 2024年8月16日 7時0分

昭和20年3月10日の未明を襲った東京大空襲をイメージし、黒く塗られた展示室の一角。「赤ちゃんが火ぶくれでゴム人形のようになって飛んできて、私の足にぶつかった」。東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)の「夜の体験」と名付けられたコーナーの壁には、生存者の生々しい証言が並ぶが、付近に遺品は見当たらない。

民間の手で平成14年に開設。当初は館内全体で約500点を展示していたが、令和2年6月の大規模リニューアルを機に約350点にまで縮小した。「戦争を知らない子供にも伝わることを意識した」。センター学芸員の石橋星志(せいし)さん(42)は狙いを語る。

戦争経験者の減少に伴い、「生の声」を聞く機会が減る中、防空頭巾や千人針といった遺品と説明書きを並べるだけでは、子供たちの記憶に残りにくい。次世代に向けた展示を模索する中、「必ずしも遺品が必要とは限らない」と大胆な方向転換を図った。

証言や再現を中心とした「見せる展示」で戦禍をリアルに感じてもらうが、遺品の展示をゼロにしたわけではない。遺品が戦争の「証人」であることに変わりはないからだ。石橋さんは「すぐに活用できなくても遺品は歴史資料として収蔵先を確保すべきだ。廃棄は避けたい」と訴える。

「父が食べたヘビの皮」形見に

戦禍の記憶をつなぐため、各地で模索が続く。その一つが「デジタルアーカイブ」だ。遺品をデジタル化すればスペース不足や資料劣化の懸念がなく、時間や場所を選ばず閲覧できるため、取り入れる施設は多い。

東京都三鷹市が運営するインターネットサイト「みたかデジタル平和資料館」は、140点以上の遺品が閲覧できる上、その由来も詳細に記す。

例えば、ある女性から寄贈されたヘビやトカゲの皮の写真。「パプアニューギニアで戦死した父親が部隊で食べていたヘビの皮を、当時の部下が形見として持ち帰った」との説明が添えられ、過酷な戦場を生々しく思い起こさせる。

サイトは貴重な遺品が失われる危機感から平成28年に開設。市が遺品を受け入れる際、次々にデジタル化して公開する。

立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)も17年から、保管する約4万6千点の遺品について、持ち主名や年代などを記録したデータベースを公開している。同館学芸員の田鍬(たぐわ)美紀さん(48)は「公開点数に制限がなく、(遺品記録の)活用が広がることも期待できる」と説明する。

「国は各地に保管庫整備を」

各地で進む遺品継承の取り組みについて、立命館大の安斎育郎名誉教授(平和学)は「有意義だ」と評価する。一方で、関わりを避ける国の姿勢には「収蔵から管理、展示の方法まで資料館任せにしてきた。もはや体力のある資料館でないと管理の余裕はない」と批判の目を向ける。

安斎氏によると、海外では国立の博物館が戦争資料を保管するケースが多く、英国は帝国戦争博物館が第一次大戦時などの資料を収集し展示。ドイツでは各地の資料館が、国の助成金を得た上でナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の遺品を受け入れているという。

日本も国立施設として東京・九段の「昭和館」などはあるが、遺品の受け入れは限定的だ。安斎氏は「個人が寄贈しやすいよう、国も各地に保管庫を作る必要があるのではないか」とした上で、こう訴える。

「戦争(の記憶)を継承することは平和の尊さを伝えること。国は遺品という『個人の記憶』を『社会の記憶』として残す意識を持つべきだ」(中井芳野)

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