1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

永遠のケービン④ 9本のコンクリート柱 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第二列車

産経ニュース / 2024年6月17日 10時0分

ヒージャー(山羊(やぎ))の刺し身との相性も抜群だった泡盛に二日酔いなしは、本当らしい。

すっきり目覚めた朝、空は晴れ渡っていた。

前夜、「明日は晴れますよ」と予言した南海和尚の言葉通りとなり、さしもの雨男・サンケイ1号君の神通力も和尚の念力にはかなわなかった。

さぁ、軽便鉄道の遺構がある与那原(よなばる)へ急ごう。

実は、総延長約50キロに及んだ沖縄県営鉄道の駅舎はほとんど破壊され、車両は1両も現存していない。

昭和20年3月から始まった沖縄戦が、いかに苛烈だったかを物語っているが、激しい空襲や砲撃から辛うじて難を逃れた機関車やガソリンカー、客車も戦後、すべてスクラップにされてしまった。

米軍占領下の厳しい状況下で、くず鉄は貴重な資源だったからだ。米軍は道路整備を優先し、軽便鉄道の再建は夢のまた夢だった。沖縄に再び「鉄路」が復活したのは、「ゆいレール」が那覇空港―首里間に開業した平成15年のこと。既に戦後58年が経(た)っていた。

そんな中、与那原線の終着駅である与那原駅は、砲撃で大破したものの、鉄筋コンクリート造りだったため柱や壁が残った。これを使って終戦直後に建物を改修、町役場として使われた。役場の移転後は、JAおきなわ与那原支店としてつい最近まで現役だった。

さすがに老朽化が進み、平成25年に取り壊されたが、翌年、与那原の人々の熱意で駅舎が復元され、資料館になっているという。

那覇の中心部から与那原まで10キロ足らず。1号君の愛車・ケービン号に乗って順調に目的地に近づいたが、車は大通りから脇道にそれ、ナビはさらに車1台やっと通れる細い道を曲がるよう指示する。

「こんなところに本当にあるのかなぁ」と1号君がつぶやいた瞬間、左手の歩道に9本のコンクリート柱の跡が、忽然(こつぜん)と現れた。

あった、ありました。

米軍の猛砲撃に耐えに耐えた柱は、墓標のように見えた。

100円也(なり)の入館料を払うと入場券の代わりに「與(よ)那原より那覇ゆき 18銭」と印字された硬券を渡された。

なかなかいいアイデアで、昔懐かしい改札鋏(かいさつばさみ)で切り込みを自ら入れられる。

記念にもう1枚買って入室すると、タブレットを渡された。展示されている軽便鉄道のモノクロ写真にタブレットを向けると、カラーで当時の様子が蘇(よみがえ)ってくるという寸法だ。

中でも終戦直後に撮影されたとみられるがれきの中に埋まった蒸気機関車の姿は、涙なしには見られない。

感慨に耽(ふけ)っていると、当時の時刻表を眺めていた1号君が素っ頓狂な声を上げた。

「これはいったいどういうことだろう」

1号君が抱いた謎のあれこれは、明日のこころだぁ! (乾正人)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください