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すばらしかった竹田利秋監督の平等主義 招待試合で完封、順調だったプロ野球選手への道 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<8>

産経ニュース / 2024年11月8日 10時32分

東北高校監督時代の竹田利秋氏(左端)=昭和55年ごろ

《プロ野球選手を目指すため、中学3年生のときに高校野球の強豪、東北高校の練習を見に行った。竹田利秋監督との付き合いは、他校の偵察との勘違いから始まった》

練習を見学していた僕に、監督が「君、どこの高校?」と言うんで、「いや中学生です」と答えたんです。僕は身長180センチで頭髪も伸ばしていたので、監督から「えっ、本当に中学生なの? どこの中学?」と尋ねられた。「福島大学付属中です」「福島から何をしに来たの?」「この学校のレベルを見に来たんです」と。

で、僕は続けて「実はうちの両親は東北高校に入るのに反対していて、勉強して早稲田大学に行け、と言うんです。でも僕はどうしても甲子園に行きたいので、この高校でレギュラーになれるかどうかを見に来たんです」と言ったら、監督がびっくりしちゃったんですね。

「先生と一緒に来たの?」「いえ」「じゃあ、ご両親と?」「反対している両親が一緒に来ますか? 1人で来るしかないじゃないですか」。そんなやりとりがあり、監督がすっかり気に入ってくれて、「じゃあキャッチボールをしなさい」「次は遠投」となった。一通り終えると、監督が「よし分かった。ご両親には後で電話するから」と言ってくれたんです。

で、後日、監督は電話で「うちの野球部には早稲田大学の枠があります。野球だけでなく勉強もしながら、甲子園を目指します」と説得してくれ、晴れて東北高校に入ることになりました。もっとも入学後は勉強なんてしませんでしたが…。

《居心地はよかった》

僕は1年生から野球部の寮に入りました。部員は120人くらいいるのですが、寮にはレギュラー候補の25人だけしか入ることができません。東北高校の野球部がすばらしかったのは、グラウンドでの上下関係がなかったことです。監督は「同じレベルなら下級生を使う」と言う。で、僕は「どうしてですか?」と聞いたんですよ。

すると「いいか、うちは甲子園には出ることでなく、優勝することが目標だ。だから同じレベルだったら、優勝に向けて次の年もチャンスがある下級生に経験させるのは当たり前だろう」と。もちろんだな、と思いましたね。自分が上級生になったら、今度は新入生との競争ですから。そんな平等主義の雰囲気が漂っていて、だから向上心も湧く。それで全体が強くなる。

だからグラウンド整備も全員でやるんです。3年生になれば何もしなくて威張っている学校もありますよね。でも東北高校にはそれがまるっきりない。それは誰よりも怖いのが監督で、あまりに怖いために先輩は威張ることができなかったこともあります。僕は怒られなかったですが、監督は本当に怖かったですから。でもグラウンドから離れれば、先輩後輩のけじめはちゃんとつけていました。

《試合に出るようになった》

一番の思い出は夏の大会が終わって新チームになり、岩手県陸前高田市でやった招待試合です。僕はこの試合で先発し、9回をヒット1本で完封したんです。「これから石田の時代がくるぞ」なんてみんなから言われてね。でも、自分の中では運が良かったと思っていたの。海岸に球場があって、ちょうど海風がホームから僕をめがけて吹いていたんですよ。だから変化球がよく曲がる。カーブとかシュートとか、キュンキュンと曲がった。まだこれは実力じゃないぞ、と。

中学生まで本格的な練習をしていなかったので、毎日が学ぶことばかりで楽しかったですね。プロ野球選手への道を順調に進んでいると思っていました。ところがその後、思わぬことで僕は学校を去ることになってしまうのです。

(聞き手 大野正利)

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