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両脚が動かない…「東京喜劇」に生かされた 緊急手術、男気で我慢したが誰も褒めてくれず 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<26>

産経ニュース / 2025年1月27日 10時0分

インタビューに答えるコメディアン、三宅裕司さん= 平成23年4月ごろ、東京・渋谷の所属事務所「アミューズ」

《多忙が重なり、平成23年7月に脊柱管狭窄(きょうさく)症を発症した》

脊柱管狭窄症は、脊髄の中を通っている神経が圧迫される症状なのですが、僕の場合は普通の人より高い、背中のところで圧迫されていたようです。

通常はしびれが来て、だんだん痛くなって病院へ行くらしいのですが、僕の場合、しびれが急激に来て、すぐに脚がうまく動かなくなりました。

その日はNHKの番組収録に車いすでスタジオに行って、何とか自宅まで戻りました。

ベッドで寝たんですが、歩いてトイレにも行けなくて、そばにバケツを置いてもらって。でも、一晩中痛くて眠れない。

女房が旅行中だったので明け方、マネジャーに救急車を呼んでもらいました。歩けないので、救急隊の方に運んでもらおうとしたら、

「あれ、三宅さん!」

「いいから、運んで!」

コントみたいですね。でも、本当なんですから。

腰の権威の先生がいる病院に入院しました。その先生がエックス線写真を見て、

「こんな状態になるまで何で来なかったんだ」

「ギリギリまで仕事していたので」

緊急手術です。その前に、MRIを撮るのですが、痛くて腰が伸ばせない。男気をみせて我慢して機械に入って、褒められると思ったら誰も褒めてくれずに、すぐ次の検査。

《両脚に全然感覚がない》

事務所の人から後で聞いた話では、手術前に先生から「狭窄している部分は広げられても、神経が麻痺(まひ)しているので脚がうまく動かなくなるかもしれません」と言われたそうです。

でも、女房は「必ず治しますから」と言って、希望を持ってリハビリテーションをやれるように、先生に説明させずに、「三宅にも知らせないでください」と頼みました。

そんなことがあって、リハビリをしていたら、3カ月くらいで、だんだん感覚が戻ってきてある日、脚がピクッと動きました。

そのころ、事務所では毎日、車いすで復帰するのかとか、車いすでラジオをやるのかとか、三宅裕司にいつ伝えるんだとか、会議をしていたようです。

社長たちが見舞いにきても、自分が昔、つらかった話ばかりして帰っていくわけですよ。今から思うとなかなか伝えにくかったんだろうなって。そりゃそうですよね。

先生の話では「神経が末端まで伸びたのは奇跡ですよ」。でも僕は、舞台を待ってくれているお客さんの思いが動かしたんだろうと思っています。

入院中、何で生かされてるんだろうと考えました。今までの仕事や、なぜ劇団を作ったのかなどいろいろと思いをめぐらしました。

忙しくなって、レベルアップのために劇団を給料制にして、それもやめて。でも、もしかしたらそれらは自分の言い訳で結局、有名になりたかっただけではないのかという葛藤もありました。

劇団の稽古場に行ったときのつらさもあったんです。寝る時間がないぐらいですから、劇団のことを考える時間もなかった。それでも旗揚げメンバーたちが頑張ってフォローしてくれて、「演出三宅裕司」とちゃんとチラシに載せてくれていた。

でも全然、演出家としての仕事をしてない自分に精神的な苦しさがありました。退院したら劇団を大事にしなきゃいけない、見てくれるお客さんにも恩返ししなきゃいけない。

そして、「俺は『東京喜劇』をやるために生かされてるんだ」という結論に達するわけです。(聞き手 慶田久幸)

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