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昭和57年生まれの私 競泳五輪金メダリスト北島康介さん「こち亀」で昭和感漂う生活 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース / 2024年10月6日 8時50分

JR亀有駅前に立つ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」登場人物の像=平成28年

習い事といえば水泳

昭和57年生まれの僕は、昭和の記憶は鮮明ではありません。ですが、周囲で支えてくれていた両親や水泳のコーチたちは、昭和に生まれ育った、まさに昭和の人です。その人たちのおかげで今の僕があると思っています。

水泳を始めたのは5歳の頃です。東京都豊島区にあるスイミングクラブ「東京スイミングセンター」(東京SC)に、幼稚園の友達と短期教室に行ったことがきっかけでした。

当時、「習い事といえば水泳」という、多くの子供が通ったことのある場所だと思います。僕もその流れに乗り、家から車で20分ほどの距離にある東京SCに通い始めました。

あまり覚えていませんが、水泳は楽しかったのだと思います。泳げるようになり、記録を出して次のクラスに進級するなど、ステップアップを感じられる競技。僕の性格にも合っていたと思います。そのほかの習い事は塾に通ったくらいで、物心ついたときから水泳一色の生活を送っていました。

小学4年生の頃からは週1日の休みを除いて毎日、練習がありました。学校から帰ってきたら東京SCに行き、夜に帰宅する日々。友達と遊びたいと思うよりは、スイミングに行くのが当たり前の感覚でした。厳しい練習をともに乗り越えた仲間のことは、強く印象に残っています。

記録競技は、たまたまうまくはいかない

小学校では、水泳の授業があり、友達たちから視線を注がれることがとても気分がよかったです。自分は水泳が得意なんだと思わせてくれました。

東京SCで1週間に練習で泳ぐ総距離は、かなり多かったです。練習の絶対量には自信がありました。忍耐力も培われました。それが中学、高校での成長へとつながっていったような気がします。記録競技なので、たまたまうまくいくということがありません。

2004年アテネ、08年北京と五輪2大会連続で金メダルを獲得するまでの道のりは、平坦(へいたん)ではありませんでした。友達の中には、中学や高校で水泳をやめてしまう人もいましたが、僕は、水泳をしていなかったら―と考えることはありませんでした。よく聞かれるのですが、自分からやめたいと言ったことは一度もありません。

水泳は教育からスポーツへ

幼少期から土日も水泳、長期の休みも水泳でした。小学校での林間学校や、家族でどこか遊びに行った記憶がありません。家ではゲームもしなかったですし、テレビもほとんど見なかったので、思い出の番組や音楽がないんです。

ただ、出身は荒川区の下町です。漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場する駄菓子の問屋街で育ち、よく駄菓子屋に行っていました。水泳の練習がないときには、紙芝居をしてくれる公園に行って遊んだ覚えもあります。昭和感が漂う生活をしていたと思いますよ。

現在、僕は子供から大人までを対象とするスイミングスクール「キタジマアクアティクス」を運営しています。水泳は学校教育から始まり、戦後にスイミングスクールが各地にできたことで習い事として発展し、裾野が広がっていきました。水泳が教育からスポーツへと変わっていった時代を経て、今があります。

今後は指導者の立場の確立、そして生涯スポーツとしての水泳の魅力を伝えられればと思っています。 (聞き手 久保まりな)

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