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「雪月花」と「急行」④ よくぞ戻ってきてくれた!の巻 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第四列車 

産経ニュース / 2024年6月30日 10時0分

「雪月花」と並ぶトキ鉄(えちごトキめき鉄道)名物が、「急行」だ。

トキ鉄が、最後の国鉄急行形電車クハ455―701をJR西日本から譲り受け、「国鉄形観光急行」として直江津―市振間などを走らせ始めたのが、3年前。昔懐かしい急行「立山」や「越後」といったヘッドマークをつけた「急行」が日本海沿いを疾走する姿は、昭和の愛好家たちの涙腺を大いにゆるませた。だが、存続の危機はすぐやってきた。走り始めて半世紀を超えたクハ455形車両を延命させるため、重要部検査などに多額の費用がかかるのだ。維持に2500万円かかるとされたが、クラウドファンディングで、目標の500万円をはるかに上回る約1930万円もの浄財が全国から集まった。

糸魚川に入線してきた「急行」を見た瞬間、懐かしき昭和にタイムスリップした。

「先頭車はクモハ413(近郊形)で急行形ではありませんでしたね」と、サンケイ1号君が身も蓋もないことを言うが、気にしない、気にしない。

車内に一歩入ると、座席のクッションは、国鉄仕様の紺色だった。JR時代はもっさりした茶色に変えられていたから「よくぞ戻ってきてくれた」と叫びたいほど。中刷り広告も国鉄時代のものと凝りに凝っている。

「もうすぐあの能生騒動の、能生駅ですよ」

出発してすぐ、今度は1号君がそわそわし始めた。

能生騒動とは、今を去る63年前の昭和36年10月1日、ダイヤ改正で新設された特急白鳥(大阪―青森・上野)が、能生駅に停車すると駅長自身が勘違いし、町民挙げて歓迎式を開いて運転士に渡す花束まで用意した「事件」。当時、能生付近は単線で、行き違いのための運転停車(客は乗れない)だったが、能生駅の時刻表に運転停車の時刻が書かれていたというから罪作りだ。

昔の能生駅は新線開通で廃駅になったが、1号君をはじめ同好の士は、階段を駆け下りて駅舎を撮りまくっていた。

あっという間に直江津に着いた。ここには蒸気機関車D51などを展示しているレールパークがあるので、見物に行こうとしたら休館だった。

「いやぁ、ショックだ」

弘法も筆の誤り。サンケイ君だって知らないこともある。

ならば、駅前をブラブラしよう。いずこも同じで商店街はひっそりとしており、喫茶店も休み。仕方がないので駅に戻ろうとしたとき、「創業明治18年 くさのや」と染め抜かれたのれんが目に飛び込んできた。

戦後、笹だんごを初めて土産用に商品化したのが「くさのや」だったそうで1個160円。野趣あふれる蓬(よもぎ)に餡(あん)がよくあっている。紹介していいかと、名刺を店番の女性に渡すと、彼女の父親は産経新聞の販売店をやっていたという。縁は異なもの味なものである。

北は夕張から南は那覇まで。「帰ってきた令和阿房列車で行こう」も皆様の叱咤(しった)激励のおかげさまで、終着駅が近づいてきた。ご縁があったらまた逢(あ)いましょう。それまでどうぞお達者で。明日からは「話の肖像画」のこころだぁ!(乾正人)=報道カメラマン、宮嶋茂樹さんが登場します。

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