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再婚前は〝現場が家庭〟 今は… 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<25>

産経ニュース / 2024年7月26日 10時0分

能登半島地震の取材を終え、兵庫県明石市の実家前で

《私生活では妻、ナディアさん(45)と10年前に再婚し2人で暮らしている》

妻と出会ったのはロシア・サハリン(樺太)のユジノサハリンスクのホテル。20年以上前のことです。当時はロシアを取材する機会が多く、樺太にも何度か行っていました。そのときは羽田から函館経由で向かいました。ユジノサハリンスクに着き、滞在したホテルでインフルエンザを発症したんです。そのとき、フロントにいたのが妻。ホテル従業員でした。

熱を測ったら39度くらいあって「これは大変だ」と焦り、彼女に医者を呼んでもらいました。往診に来た医者に、いきなり尻に注射を打たれて…。解熱剤か何かだったのかなあ。その後はとにかく喉が渇きました。いくら水を飲んでも喉が渇いて、汗が噴き出てきました。妻は夜通しの勤務だったので、水を運んでくれたりして、親切にしてくれました。

一夜明けても症状は変わらず、今度はアメリカ人医師がいる病院に連れて行ってもらい、そこで治療を受けて何とか熱が下がりました。病気で仕事を放り出したことはめったにありませんが、このときは仕切り直すことにして一度、東京に戻り、1週間ほどで出直しました。仕事が終わった後、世話になったお礼に妻と食事をして、付き合いが始まりました。

《世界を飛び回る報道カメラマン。交際中、樺太からはるばる日本に来てくれた彼女をほったらかしにしたことも》

2004(平成16)年の暮れ、妻が日本に遊びに来るタイミングで、死者行方不明者30万人以上とされるスマトラ島沖地震が発生しました。妻が函館経由で羽田空港に着き、再会を果たした途端、「今からインドネシアに行く」と言い残して、そのまま置き去りにしたことがありました。

そのころ、妻は20代で日本語がほとんどできませんでした。そんなときに突然、知らない国でたった1人、年末年始を過ごすことになったんですから心細かったと思います。ただ、世界中が注目する大災害だったので、現地入りを優先しました。このときはカメラマンの友人の奥さんが東京を案内してくれたりしましたが、本当に申し訳なかったです。

《夫婦の会話は基本的には英語だが…》

妻はロシア人で、母親がウクライナ出身のロシア人、父親がラトビアとロシアのハーフです。ロシアのウクライナ侵攻は彼女にとって非常に複雑です。アメリカに2年間留学して学位も取得、その後はずっと日本に住んでいるので、国際情勢はちゃんと把握していますが…。

会話は基本的には英語です。私は大学時代に独学でロシア語を始めましたが、付き合い始めたころはほとんど話せませんでした。今は周りに聞かれて困ることはロシア語です。買い物中に「高いからやめよう」とか(笑)。

彼女は子供のときに母親を亡くし、既に父親も亡くなっています。私も両親は他界しましたが、再婚したときは2人とも健在で、一緒に沖縄へ旅行をしたこともありました。妻は外国人観光客の添乗員や、ヨガのインストラクターなどのアルバイト程度はしています。インドやベトナムなどへ2週間から1カ月くらい、ヨガ留学したことも3回ほどありました。

また、私がアメリカへ取材に出かけるときは、妻も現地で合流することがあります。仕事が終わるタイミングで1日か2日、2人で過ごして私が先に帰ります。最近は日本にいる樺太出身の女友達が住む沖縄の島に格安航空券などで1人で行き、何日も滞在したりしています。

ウクライナの取材では大変、世話になり心配もかけました。それだけに、何とか埋め合わせをしたいと思っています。(聞き手 芹沢伸生)

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