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はるかなり秘境駅⑫ 暗闇のソースかつ丼 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第一列車 

産経ニュース / 2024年6月13日 10時0分

第一列車も終着駅に近付いてきたが、ここで訂正を一つ。

第4回でサンケイ2号君の正体をお伝えする際、「1部上場会社にお勤め」と書いてしまったが、正しくは「東証プライム上場会社」だった。ご指摘ありがとうございました。家人からは「いつの時代に生きてるの?」と呆(あき)れられた。確かに心は昭和を生きている。

さて、飯田駅前で名古屋行きバスに乗り込む2号君を見送り、ビールか地酒でも買って電車に乗り込もうとしたところ、なんと売店がないのである。

特急電車の始発駅であり、東京や名古屋行きの高速バスが、1時間に2本以上も発車するバス停が駅前にあるにもかかわらず、である。

やんぬるかな。あわてて信号を渡って駅前広場向かいの土産店に駆け込み、ビールを確保したから良かったものの、終着駅までの2時間38分を飲まず食わずで過ごすのは、愛好家であっても辛(つら)い。これで心穏やかに乗り込める。

定刻通り午後4時44分に入線してきた岡谷行きは、2号君ご推奨の313系だった。2両編成で平日なら通学の高校生で混み合う時間帯だが、週末とあってよく空(す)いていた。

天竜峡から辰野までは、旧伊那電気鉄道の区間で、旧三信鉄道の区間と打って変わってトンネルが少なく、2つしかない。

これには大いなる理由がある。明治25年に政府は中央線敷設を決定する。名古屋まで伊那谷と木曽谷のどちらを通すか激しい誘致合戦が起きたが、軍配は木曽谷にあがった。

ならば自分たちで鉄道を敷こうと立ち上がったのが、飯田の商人・伊原五郎兵衛。明治人には偉い人が多いねぇ。五郎兵衛は、私財をなげうって建設を開始したが、長いトンネルを掘り橋を架けるほどの資金はない。

そこで、難所はトンネルを掘らず、坂を上ったり下ったりして迂回(うかい)する策をとった。田切―伊那福岡間のオメガ(Ω)カーブがそれで、今も313系電車がゆっくりと曲がっていくのが乗っていてもよくわかる。

車窓にはのどかな田園風景が続き、転換クロスシートの乗り心地も上々。伊那市に着くころにはついウトウトしてしまった。ビールを嘗(な)め、列車内で居眠りすることほど、至福の時間はない。

岡谷駅着は午後7時23分。新宿行き特急あずさ60号の発車まで1時間以上ある。

急に腹が減った。駅前は、交番を除いて真っ暗闇。売店は無人レジ方式で、駅弁は売っていない。万事休したか、と観念したが、目を凝(こ)らすと食堂の灯(あか)りが見えた。お薦めのソースかつ丼が、生ビールと相性ピッタリだったのは、言うまでもない。

第一列車は、きょうでおしまい。鉄道の「ない」県に飛んで、あれこれ考えるのは、明日のこころだぁ! サンケイ君も登場するよ。(乾正人)

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