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神田生まれ にぎやかな親族に囲まれ 母は日本舞踊の師匠、芸者置き屋、松竹歌劇団員も 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<2> 

産経ニュース / 2025年1月3日 10時0分

お宮参りで母親に抱かれて。後列右が祖母、左が叔母で、生後6カ月ごろ

《三宅さんの生まれ育ちは東京都千代田区神田神保町。江戸っ子だ。芸能関係者が多い、にぎやかな親族に囲まれて育った》

家は旧岩波ホール(岩波神保町ビル)の近くにありました。母方の祖母が新潟から上京して神田に住んだそうで、私は3代目ですから、「江戸っ子」ですよね。

父は国鉄(現在のJR)の技術研究所に勤めていた無口な人でした。母親が小学校の教室へ来て、「裕司、うちに帰っていらっしゃい。お父さんが笑っているから」という冗談が残っているぐらいです。

母は9人きょうだいの長女で日本舞踊西川流の師匠、叔父が亀戸で芸者置き屋、叔母が松竹歌劇団(SKD)の六條恵美という芸名で国際劇場に立ち、その旦那さんは作曲家でした。

祖父は印刷機械などを扱う会社を経営していました。当時は大きな家で父母と兄と私も暮らしていたことがあります。

そこにパーティー用の部屋があり、マンボブームでみんなが踊ったり、クリスマスパーティーを開いたりしていました。

父は8ミリフィルムカメラが趣味で、脚本を書いて撮って編集して、音楽も入れ、せりふもアフレコで入れて映画を作っていました。録音は夜中、寝静まってから仲間が集まってやるんですが、誰かが間違えると最初からやり直すしかないんです。ゲラゲラ笑いながら何回もやるんですよ。子供心に「楽しそうだな、早く大人になりたいな」と思っていました。

《8ミリフィルムカメラとは、8ミリ幅のフィルムで撮影する動画用カメラ。撮影や編集が比較的簡単だったため、家庭用としても人気があった》

旅行先でもおやじが8ミリカメラで撮ってました。山へ行ってカメラを持った父が先を歩いて、キューサインが出ると歩く。そんなことを子供のころからやっていたんです。

母親の影響で小学2年生くらいから日本舞踊を習っていました。4年生ぐらいになると恥ずかしくなって足が遠のいたんですが。高校で落語をやり出して、女性を演じるときは肩を落とした方が女っぽくなる。日本舞踊をやっているとそういうのがすっと出てくるんで、明治大学で落語研究会(落研(おちけん))に入るとまた習い始めました。意外なところで意外なものが役立つんですね。

やがて、「シャボン玉ホリデー」というテレビ番組が始まりました。

《シャボン玉ホリデー(昭和36~47年)は、日本テレビ系列で日曜午後6時半から放送されたバラエティーショー。ジャズやポピュラーの演奏とコントが中心で、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツなどが出演していた。植木等氏の「お呼びでない」、谷啓氏の「ガチョーン」などのギャグを生み出した》

植木さんはギター、谷さんはトロンボーンなど一流のミュージシャンが集まっていて、バカもできるという落差がすごくかっこ良かった。

クレージーキャッツといえば「馬鹿は死んでも直らない」(塚田茂作詞、萩原哲晶作曲)というヒット曲があります。

明大の落研でお酒を飲むと、何人かが神保町のわが家に酔っ払って泊まるんです。午前6時ぐらいになると、私がそっと起きて大きなボリュームでこの曲をかける。すると、寝ていたやつらは必ず踊らなきゃいけないっていう決まりがありましたね。

(聞き手 慶田久幸)

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