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70年大阪万博を彩った仏教建築、今も各地で活用 「平和の象徴」、引き継がれる心

産経ニュース / 2025年1月23日 10時39分

2025年大阪・関西万博ではシンボルとして会場に設置される木造の大屋根(リング)などの再利用が進められる予定だが、再利用を意味する「リユース」という言葉すらなかった55年前の1970年大阪万博でも、パビリオンなどの建造物やその一部が各地に引き取られた。キリスト教圏外で初めて開催された万博だったため、アジア諸国が自国の文化を示そうと仏教関連の造形物を数多く出展、それらが全国の寺院などで今も使われている。

休憩所が寺院に

地元の参拝者が日々訪れる四天王寺(大阪市天王寺区)の庚申堂。総檜造りの平屋で広々としたその建物は、大阪万博で全日本仏教会が提供した来場者の休憩所「法輪閣」だった。

同寺は昭和20年の大阪大空襲で境内の約8割が焼失し、江戸時代に再建された重層構造の巨大な庚申堂も焼け落ちた。戦後、復興事業のため寺内に「四天王寺建築事務所」が設置され、万博の頃は「復興の真っただ中だった」と同寺諸堂係の河邊啓法さんはいう。

万博の研究を続ける宗教学者で和光大講師の君島彩子さんと同寺によると、法輪閣はもともと閉幕後、「全日本仏教会館」として使う前提で、寺社建築を専門とする「金剛組」(同区)が施工、同事務所が取り仕切った。当初の予定が中止となったため、四天王寺が譲り受けたという。河邊さんは「このような形で庚申堂を再興でき、ありがたいことだったと思う」と話した。

「思いを次代に」

古い町並みが残る奈良市の「ならまち」では、万博のネパール館にあった伝統的な木彫りの飾り窓が町家の風情に溶け込んでいる。世界遺産の元興寺が譲り受けて保管していたものを、現住職の辻村泰善さんが「多くの人が見られるように」と、30年ほど前に路地に面した庫裏(くり)に設置した。

ネパールには、仏教の開祖、釈迦の生誕地がある。万博開催前から同寺が中心となり、ネパールの王族らと友好を深めていた。泰善さんは「仏教はネパールをルーツに現在までつながってきたもの」とし、人々の思いを次代につなげたいとしている。

大阪万博では、富士通などを中核とする古河グループが、奈良時代に東大寺に建てられ後に焼失した巨大な七重塔のレプリカ(高さ86メートル)を展示した。この塔頂の最上部に取り付けられた「相輪(そうりん)」は東大寺に移設され現在も残る。パビリオンごと移築する案もあったが、耐久性などの問題で実現しなかったという。

寺院を模したラオス館は長野県諏訪市に移り、「昭和寺」となった。先の大戦に出征し、戦後は国内外に平和観音像を贈る活動を続けていた僧侶の故山崎良順さんがラオス大使館と交渉して譲り受け、初代住職となった。昭和寺の本尊は、山崎さんが手がけ、万博で展示されていた平和観音像。現在は孫の大圓さんが後を継ぎ、毎年戦没者慰霊祭を営む。

友好の証、今回も

70年の大阪万博で残されたこれらのレガシー(遺産)について、君島さんは「仏教関係のものを引き継いだのは、単に『もったいないから』ではなく、信仰に関係するものは大事にしたいという日本人らしい意識があった」と分析。また、戦後25年で多くの人に戦争の記憶が残っており、「外国の物を譲り受けることは友好の証、平和の象徴だった」とみる。

もちろん引き継いだのは寺院だけではない。カンボジア館は住宅開発業者に買い取られ、神戸市北区広陵町の自治会館に。ミュンヘン市館は陸上自衛隊日本原駐屯地(岡山県奈義町)に残る。

今年4月に開幕する大阪・関西万博では「環境に優しい社会を目指す」として建築物や建材の再利用を計画。企業などのニーズとマッチングする特設サイト「万博サーキュラーマーケット ミャク市!」にはパビリオンやトイレなど、候補となる近代的な施設が並んでいる。(藤井沙織)

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