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就職してアイハウスに 運命の出会い 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<8>

産経ニュース / 2024年8月8日 10時0分

通っていた台北第一高等女学校(現台北市立第一女子高級中学)の校訓

《終戦前から台湾に住んでいた「本省人」への大弾圧「二・二八事件」。中学生だった自身は台北郊外の温泉地・北投に避難していた》

学校が鎮圧部隊に接収され、授業がなくなったから北投の別宅にいた。だから怖いことは見ていないけど、やっぱり外には出ないようにしていた。「家族が連行されたまま帰ってこない」という話を日常茶飯事で聞いていたから。それでも妥協できなかったのが食べるもの。食いしん坊は生まれつきで、外が大変なことになっているとは分かっているんだけど、近所の牧場に毎朝、牛乳を買いに行っていた。

台湾の人はふつう、朝はおかゆを食べるわけ。でも私はかなり前から牛乳とパンだった。冷蔵庫もコンビニもない時代でしょ。牛乳は毎朝、買いに行かなきゃいけない。ここで我慢しようとは思わないわけ。

やっぱり街中を歩くと危ないから、大通りを歩かないように大回りして牧場に行っていた。警察官が歩き回っていたから。日本では衣食住っていうけど、台湾はもう一つ行動の「行」がつく。衣食住行、これを実践していたということ。

《再開された女学校では、終戦後に移り住んだ「外省人」の生徒が増えていった》

通っていた台北第一高等女学校に初めて入った外省人は台湾電力の社長の娘。台湾の人は優しいから、みんなで助けてあげた。彼女は素直な頑張り屋で、台湾大学の英文科に入った。でもそんな子ばかりじゃない。外省人の子が徐々に増えていき、気に入らないと感情むき出しでつっかかる子も出てきた。

進学でも理不尽なことがあった。中学部から高校部に上がるとき、明らかに外省人の子の方が多い。ある日、国語の授業で「本省人と外省人の融合」をテーマに作文を書くように言われた。そこで「もともと本省人の税金でできた学校なのに、外省人に比べて不利になっている。これこそ『庇(ひさし)を貸して母屋を取られる』ということだ」と書いた。回し読みされて村八分よ。努力が苦手だったうえ、学校でこんなこともあり、大学に行く気はうせていった。

《高校卒業後、就職したのは台北国際学舎の中にあった陶器店。台北国際学舎は世界中から台湾にやってきた研究者や留学生が集まる場だ》

台北国際学舎は日本では東京・六本木にある国際文化会館といっしょで、通称「アイハウス」という国際交流を目的とする非営利法人。そこの1階ロビーにあった小さな瀬戸物屋さんが勤め先だった。故宮博物院の陳列品をコピーしたものを、お土産用のコピー品として売っていたんだけど、お客さんはたまにしか来ない。暇で暇でしょうがないので、すぐにタイプライターを打つ練習を始めた。

アイハウスは米国発祥だから、運営を教える米国人が館長。そのときの館長はマーティン・フォーマンさん、米国のどこかの大学講師で夫婦で台湾に来ていた。そのフォーマンさんがたまたま瀬戸物屋さんにやってきた。そこでタイプを打っている私を見て、「こいつ暇だな」と思ったみたい。「秘書試験を受けてみないか」と声をかけてくれた。

館長秘書はいたんだけど、ちょっと年配で生意気らしく、つきあいにくかったみたい。試験は不合格だったけど、フォーマンさんは「勉強する気はあるか」って言う。「もちろんです」と答えたら、「じゃあ分かった。秘書を頼む。でも給料は半分ね」と。もちろんOKですよ。それでアイハウスの受付兼館長秘書になった。これがその後の人生を決めるきっかけになるとは、そのときは予想もできなかった。(聞き手 大野正利)

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