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被爆者「今も苦しんでいる」 後遺症で兄失った79歳男性、広島原爆投下79年の式典に初出席

産経ニュース / 2024年8月6日 17時30分

17歳の頃の三田征彦さん(右奥)。隣は兄の直彦さん、手前が母のムラさん=三田さん提供(昭和37年撮影)

米軍の広島原爆投下から79年となった6日、爆心地に近い広島市中区の平和記念公園では、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。全国から集まった遺族らが犠牲者を悼んだ。後遺症の骨髄異形成症候群で兄を亡くした大阪府の遺族代表、三田(みた)征彦さん(79)=大阪市淀川区=も静かに手を合わせた。

「被爆者であることを深刻に考えないようにしてきた。過去を引きずらずに生きてきた」。記念式典に今回初めて出席した三田さんは、自身の半生をこう振り返る。

被爆したのは生後10日で、記憶は全くない。当時は爆心地から1・5キロほど離れた生家で、母のムラさんと15歳年上の兄、直彦さんの3人暮らしだったという。

家族全員が被爆しながら一命をとりとめたが、2人とも生前、当時の体験をあまり口にしなかった。三田さんも「つらい話を聞きたくない」との思いから尋ねなかった。

それでも、母は時折、当時を振り返った。自宅の室内に三田さんを寝かせ、庭で洗濯物を干していた際、「家と家との隙間から光線が走り、すさまじい衝撃を受けた。気づくと左の二の腕が焼け焦げていた」と語ったという。ムラさんは昭和62年に76歳で亡くなったが、腕には生涯、ケロイドが残っていた。

被爆直後、母は三田さんを背負い、学徒動員で爆心地近くの工場跡の片付け作業をしていた直彦さんのもとへ向かった。作業には学生197人が従事し、大半が亡くなったが、直彦さんは奇跡的に生き残っていた。

ただ、被爆の影響で髪や歯がほとんど抜け落ち、歯ぐきの出血が止まらない瀕死(ひんし)の状態になった。母の懸命の看病で持ち直したものの、晩年に骨髄異形成症候群が悪化。平成24年に82歳で亡くなった。「20歳ごろから健康になり、多趣味な生活を送っていた」(三田さん)というが、放射能の影響から逃れることができなかった。

自身は大病を患うことなく兄の影響で文学に親しみ、後のノーベル賞作家、大江健三郎や広島出身の小説家、井伏鱒二らの作品を読み漁った。広島大文学部を卒業後、大阪の出版社に就職。さらに自ら広告制作会社を立ち上げた。

健康に感謝していた2年前、ステージⅢの大腸がんが見つかり、手術した。再発を恐れて落ち込む時期もあったが、思い直した今は「自由に楽しく生きたい」と趣味のゴルフも再開した。

これまで被爆者の立場をあまり意識せずに生きてきたが、原爆への拒否感は強い。この日、式典で兄らの冥福を祈った三田さんは、改めて平和への思いを強くした。

「原爆は一発で多くの命を奪っただけでなく、79年後の今も放射能の後遺症で苦しむ被爆者がいる。核兵器は絶対に使ってはならない」(倉持亮)

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