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鯨類飼育の変遷⑤ 「ショー」の礎となった出来事 くじら日記

産経ニュース / 2024年9月6日 10時0分

イルカショーでハイジャンプを披露するバンドウイルカ=昭和47年、和歌山県太地町

和歌山県の太地町立くじらの博物館のオープンから1年以上が経(た)った1970(昭和45)年5月22日、「ショー」開催のために、飼育員らが自ら沖に出て捕獲したバンドウイルカの飼育が始まりました。試行錯誤の末、イルカの捕獲に成功し、ショー開催のために残された課題は調教のみとなりました。

当時イルカのショーは全国的にも少なく、技術も発展途上にありました。くじらの博物館の飼育員らにとっても調教は手探りの状況でした。そのような中、「ショーの足掛かりとなった出来事があった」と、当時鯨類の飼育を担当していた松井進氏は振り返ります。

それはオープン前にさかのぼります。鯨類学者であり顧問も務めた故西脇昌治氏の紹介によって、太地町職員2人が福島県いわき市の「照島ランド」へ研修に行きました。照島ランドは1968(昭和43)年に開園し、遊園地、動物園、水族館が併設された施設です。イルカやアシカのショーも開催し、当時としては規模が大きいレジャーランドでした。

照島ランドで、研修に行った職員2人が出会ったのが、後に鴨川シーワールド(千葉県)の初代館長となった故鳥羽山照夫氏でした。鯨類の輸送や飼育管理、調教の基礎について教えを受けたといいます。当時のくじらの博物館の飼育日誌には、鳥羽山氏がくじらの博物館に来館した記録も残されています。くじらの博物館オープン後も交流は続き、海外のトレーナー(飼育員)に引き合わせてくれたこともありました。

もう一つ調教に大いに役立った出来事があります。

アメリカのある施設で撮影された8ミリフィルムのエピソードです。太地は明治時代以降、住民が移民した歴史があり、多くの人がアメリカにも渡りました。アメリカで結成された元住民の組織「太地人会」が、当時最先端であったアメリカのマリンランドのショーやトレーニング(調教)の様子を撮影し、そのフィルムをくじらの博物館に送ってくれたのです。

フィルムに映ったショーは日本のどの施設よりも素晴らしく、飼育員らは繰り返し見たそうです。フィルムを見た松井氏は、トレーナーがしゃもじのようなものを手にしていることに気が付いたといいます。柄が長いものと短いものがありました。松井氏がどのように使っているのか観察したところ、イルカの目標物にしてトレーニングしていることがわかりました。今ではターゲットと呼ばれ、トレーニングの一般的な道具になっています。

鳥羽山氏の技術指導と、マリンランドの8ミリフィルムが、当時のくじらの博物館の調教の礎となりました。当時の飼育日誌には、調教の様子がびっしりと記されていて、飼育員の熱意が伝わってきます。

1971(昭和46)年の春ごろ、バンドウイルカ3頭がイルカショーにデビューしました。記録によると、ハイジャンプやテールウォーク(尾びれの力のみで水面に立ち滑走する種目)、ボール運びなど、少なくとも8種目が披露されました。くじらの博物館オープンから2年が経ち、当時町長の故庄司五郎氏と西脇氏が思い描いた「放し飼い」と「ショー」の鯨類飼育が、ようやく形を成したのです。

(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)

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