旧日本軍の「光と影」に向き合う 防衛官僚から転身した松原治吉郎・防衛研究所主任研究官 一聞百見
産経ニュース / 2025年1月31日 14時0分
日本陸軍は非合理なだけの組織だったのか-。こうした仮説から、大正期の陸軍航空戦力の建設過程を検証した著書「陸軍航空の形成-軍事組織と新技術の受容」(錦正社)が昨年末、国際安全保障学会の最優秀出版奨励賞(佐伯喜一賞)を受賞した。防衛官僚から研究者に転身した異色の経歴。防衛政策の一端を担った経験と持ち前の柔軟な思考で旧軍の光と影に向き合い、その教訓を問い続けている。
「(受賞の一報に)びっくり。最初は詐欺だと思ったくらいです」。軍事関連の書籍にびっしりと囲まれた研究室。軽快に語り、朗らかな表情を見せる。
その経歴と古風な名前から「お堅い」印象を勝手に抱いたが、対面すると、嫌みのない語り口と話のおもしろさに引き込まれる。官僚と研究者、どちらのイメージもいい意味で裏切る、そんな人柄だ。
著書は博士論文を半年かけて加筆・修正し、令和5年3月に出版。「史料集めに8割、執筆に2割」の言葉通り、各所に足を運んで膨大な史料を入手した。
平成12年、防衛官僚となり、最初の転機は25年。英国への自費留学を模索していたところ、防衛省から政策研究大学院大学博士課程に2年間進む道が開けた。
「専門性が高い官僚になりたい」。背景に忸怩(じくじ)たる思いがあった。21年から3年間の民主党政権下で、自衛官の人件費削減案が浮上。職務で調べてみると、大正14(1925)年、軍縮のあおりを受け旧軍も同様の課題に直面していた。
国会議員や報道機関に対応する中で、自衛隊について旧軍と同一視するように批判されることがあった。旧軍に関する知識が乏しく、違いについて十分に説明できない。「旧軍を参考にすることで、防衛省・自衛隊が抱える課題に対応できるのでは」と旧軍組織に興味を抱くようになった。
世界では修士号だけでなく博士号を持つ外交官や軍幹部が少なくない。彼らに留学先や仕事で接したことも後押しの一因となった。
大学院大学で国際関係論、安全保障論、日本近現代史を学び、陸軍の航空分野を論文テーマに据えた。旧軍を巡っては公刊戦史「戦史叢書(そうしょ)」があり、当初は「新しい事実もなく、論文になるのか」との思いもあったが、指導教官の北岡伸一氏(現・東京大名誉教授)らの助言で、軍縮のさなかに陸軍が取り組んだ航空戦力の近代化過程を分析・評価する内容に決めた。
平成27年、「博士候補」になる試験に合格。博士号取得の最後のハードルとなる論文執筆を残して復職した。ただ、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増し、防衛省は激動の時代を迎えていた。激務が続く仕事か、博士号取得か-。常に心は揺れていた。
背中を押したのは、政府高官の立場にあった先輩の言葉だった。「10年後、20年後の自分から見て、現在の選択を後悔すると思うか否か、よく考えて決めなさい」。北岡氏の激励もあり、熟慮の末、導き出したのは博士論文を完成させる道。必然的に、キャリア官僚としての将来が閉ざされることを意味した。
平成31年から1年の休職を挟み、論文を紡ぎ終えて博士号を取得したのは令和3年。博士課程に進んでから8年もの年月を費やしていた。「いろいろな方にお世話になり、やめるわけにいかなかった」。胸中には、過去の経験を踏まえた「あきらめたくない」との強い思いが宿っていた。
進学時の後悔、糧に 「苦難乗り越え」一意専心
悔しさが募り、抑えがたい思いが幾度も胸に込み上げた。平成19年11月23日、東京・晴海埠頭(ふとう)で、帰港した海上自衛隊の補給艦「ときわ」を関係者らと出迎えたときのことだ。ときわはテロ対策特別措置法に基づいてインド洋で多国籍軍艦艇に給油活動を行ったが、特措法が延長できず11月1日に失効。活動を中断し帰港を余儀なくされた。「僕も日の丸を背負って仕事をしているとの思いでいましたから」。防衛官僚として無念さが心を覆った。
特措法は平成13(2001)年9月11日の米中枢同時テロを受け、米軍などの対テロ行動を後方支援する時限立法として小泉純一郎政権下の同年10月に成立。翌11月以降、海自は給油、航空自衛隊は物資輸送などを行い、法の期限ごとに延長が重ねられてきた。
一方、19年夏の参院選で自民党が大敗し、衆参で与野党多数派が異なる「ねじれ国会」に。参院第一党となった民主党が、同年の特措法延長に反対していた。延長の意義について説明するため、自身も連日、議員会館に張り付いた。
「そもそもテロ対策特措法って?」「インド洋の補給ってまだ続いていたの」「なぜうちの党は反対しているのか」。特措法の中身について知らない民主党議員も少なくない。日本を取り巻く安全保障環境を含め、経緯やその必要性を丁寧に説明し続けた。
「まさに国益がかかっていた」。特措法の延長がかなわず、失効が決まると、防衛省内でも重苦しい空気が漂った。
「公のための仕事がしたい」と防衛官僚になったのは12年。冷戦の終結に伴い、世界の安全保障環境は変化し、日本に対しても中国や北朝鮮の脅威が強まっていく。「自分たちの今やっていることが国民の利益に直結している」との自負もあり、ひたむきに仕事に向き合った。
だが、高校時代に希望通りの進学をしていたら、防衛官僚の道はなかったかもしれない。
富山県の中央部、日本海に面した新湊市(現・射水市)で育った。富山大付属中、県立高岡高、東京大から官僚へと、エリートコースを歩んだが、幼いころは近所でも有名な「悪がき」だった。小学4年のころ、一緒に遊んでいた友人の母親が「あんな子と遊んじゃいけません」とわが子を諭している場面に遭遇したことも。「さすがに子供心に傷付きましたね」と笑う。
成績はいいとはいえなかったが、本の虫。小学5年のとき、産休に入った担任の代わりに着任した女性教諭が目をかけてくれ、さまざまな本を読むよう勧めてくれた。
「先生のおかげで、自己肯定感が上がったんじゃないかな」。この頃から目に見えて成績が上がり、付属中の受験を勧められるほどになった。子供心には友人らとともに地元中学に通うつもりで、とりあえず受験したが、いざ合格すると親たちは迷い始める。「それまでのイメージが強すぎて、誰も僕が合格するとは思っていなかったし、僕は地元中に行きたかった」。結局、祖母が信奉する巫女(みこ)の「宝船が来ている」との一言で進路が決まった。
高岡高では理数系クラスに所属。京都大理学部に進学し、量子力学を学びたいとの希望があったが、学年で常に上位5番以内だった英語、国語、社会に比べると数学がふるわない。「文系なら東大にいけるぞ」。教師ら周囲の甘言に誘惑された。
東大に現役合格したが、いまだに後悔がある。「努力することなく楽な方に逃げてしまった」。だからこそ、次は何事も絶対にあきらめたくないとの思いを抱き続ける。
好きな言葉は「ペル・アスペラ・アド・アストラ」。「苦難を乗り越えて星々へ」を意味するラテン語だ。苦難もあるが、努力すればその先に栄光がある-。その意味を今もかみしめている。
国の将来模索、研究者として
平成19年5月1日、クウェートのアリ・アルサレム空軍基地。第1次政権当時の安倍晋三首相が、駐留している航空自衛隊のイラク復興支援派遣輸送航空隊の隊員約210人を前に訓示する様子を見守った。
「最高司令官の言葉によって士気が高まる瞬間を実感しました」。現職首相として初めて海外で活動する空自部隊を訪ね、激励した安倍氏。現地の空気感は今でも脳裏に刻まれている。
実は訓示の文案作成に携わった。「日本から遠く離れた地で激務を遂行する全隊員にとって、職務に邁進(まいしん)してもらえるような内容にしてほしい」。安倍氏の意向を聞き、思い起こしたのは自らのクウェート勤務の経験だった。
「キャリアは現場を知らなければならない」との方針に基づき、18年9月から半年間、本省からクウェートへ派遣された。いわば「お目付け役」で現場からは敬遠される存在だったが、次第に打ち解けていく。その過程で強く感じることがあった。
それまでの高官の訓示もしかり、空自といえば、パイロットが注目されがちだが、整備、補給、基地の警備や広報などを担う後方要員が支える様子を目の当たりにした。現場隊員と働いた経験をもとに、後方要員に光が当たるような内容にした。
その文案に沿って安倍氏は訓示した。「500回近くに上る運航を無事故で達成できたのは、全隊員が一丸となった努力のたまもの」。感謝を示され、隊員たちは感動した。
「訓示は評判がよく、僕の仕事の中で思い出になっています」
安倍氏には、19年9月にオーストラリアで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の出席時にも随行した。政府専用機で安倍氏が随行員らと記念撮影する際、安倍氏の顔色の悪さに驚いた。帰国直後の9月12日、安倍氏は突如辞任を表明し、体調不良で入院した。
この随行では「人生最大のピンチ」にも見舞われる。帰国日、集合時間が1時間早まっていたのを忘れ、電話で跳び起きた。「政府専用機は定刻で出発しましたが、あの時は本当に焦りました」。苦い記憶を振り返りつつ、官僚としての仕事にはやりがいを感じていた。
「おこがましくも、国の屋台骨を背負ってでかい仕事をしているとの意識がありました」
ただ、官僚の世界は、精査や緻密さよりもスピードが求められ、気付いたら政策になっているという面も感じていた。「自分の中であいまいなことも咀嚼(そしゃく)して説明しないといけない。取り繕うこと、それが官僚の能力かもしれないけれど…」
令和3年に博士号を取得し、研究者に転じてからも、官僚時代と同様に政治家や官邸からの問い合わせなどに対応することがあるが、「自らの時間、労力をかけて調べるので、エビデンス(根拠、証拠)ベースで自信を持って話せるようになりました」と語る。
大正時代の日本陸軍航空戦力の建設過程をテーマにした博士論文の作成時、さまざまな史料を検証し、気づきがあった。国防について専門知識を有する議員らが議会で真剣に議論を重ね、旧軍が世論に配慮していた時代があったことを知り、「悪の軍国主義」とは別の旧軍の姿が浮かび上がった。
官僚時代に比べてやりがいのフィールドはやや狭くなったかもしれないが、自ら調べて知り、伝えることができるおもしろさを感じる。
国際情勢が大きく動く中で、新しいミッション、大きな国防政策にかかわりたかったとの欲がないわけではない。「キャリア官僚をあきらめたことに未練はないが、仕事への未練はある」と率直に胸の内を明かす。
ただ、自ら選んだ道に後悔はない。戦史から学ぶことも少なくなく、博士論文をベースにした著書の続編執筆にも意欲を見せる。
「旧軍とは何だったのか、誰も総括していない。批判だけでなく、旧軍の実像を客観的に示すことで、日本の安全保障を考える上で学べることなどを広く世に知らしめていけたら」
日本の将来を形づくる教訓を探り続けている。
まつばら・じきちろう 昭和51年、富山県出身。平成12年に東京大学経済学部を卒業し、防衛庁(当時)に入庁した。防衛官僚として勤務を続ける傍ら、国際関係論の博士号取得を志し、政策研究大学院大学に進学。その後、官僚から研究者への転身を決意し、論文作成の休職を挟んで令和2年から防衛省防衛研究所、翌3年に博士課程を修了し、5年から現職。米留学中の平成16年にテコンドーを始め、今も週1、2回道場に通うが、「永遠の初段」と謙遜する。
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