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志ん朝師匠にあこがれて 江戸前でかっこよく 一番ひどかったのは談志師匠のコピー 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<8>

産経ニュース / 2025年1月9日 10時0分

大学時代に高座で古典落語「時そば」を演じる

《バンド活動の一方、落語研究会(落研(おちけん))にも力を注いでいた。明治大学の落研は人気、実力とも非常に高く、1千人以上が入るホールを満員にするほどだった》

高座名は4代目、紫紺亭志い朝。明大のスクールカラーである紫紺と芸能人の言葉でC調(調子いいを逆から読んだ)にひっかけました。落語は高校時代からうまかったんです。

ちなみに5代目が現在落語家の立川志の輔君、6代目がタレントでコント赤信号のリーダー、渡辺正行君です。

落研のメンバーはだいたい、活字でなく、テープを聴いて落語を覚える。だから何回も何回も聴いているうちに、その落語家さんの口調になっちゃう。学園祭で学生が落語をやっているのを見ると、誰をコピーしたかが分かるんです。

一番ひどいのは立川談志師匠のコピー。出てくるときから、ちょっと口を傾けて、談志師匠になっちゃっている。学生がまねをするといやらしくなってしまう。難しいんです。

あのころ、(五代目)月の家円鏡(後の八代目橘家円蔵)師匠とか、(五代目)三遊亭円楽師匠とか人気のある落語家さんは癖が強かった。

その中で、古今亭志ん朝師匠は江戸前の本当にかっこいい口調でした。細かい人間描写で人情噺(ばなし)を語る。気持ちよくてね、志ん朝師匠の江戸言葉。

だから、志ん朝師匠のまねをすると癖が出ないで、きれいなコピーができるんです。

《月の家円鏡氏は明るい芸風で、「ヨイショっと」「うちのセツコが…」のギャグ、テレビのクイズ番組の解答者、ラジオ「ハッピーカムカム」(ニッポン放送)などのパーソナリティーとしても親しまれた。平成27年死去。享年81。

三遊亭円楽氏は若手時代は「星の王子さま」の愛称で売り出した。師匠、六代目三遊亭円生氏ゆずりの人情噺を得意とし、「芝浜」「中村仲蔵」などが十八番(おはこ)だった。テレビ番組「笑点」(日本テレビ系)の司会でも親しまれた。21年死去。享年76。

古今亭志ん朝氏は五代目古今亭志ん生氏の次男。「火焔(かえん)太鼓」などを端正かつ格調高い口調で演じた。13年死去。享年63》

明大の学生は地方出身者が多い中で、私は神田神保町で生まれ育って江戸弁というか東京弁ができているので、そんなやつらに負けるわけがないと思いながらもやっていました。志ん朝師匠のまねをうまくできたのもそれがあると思うんです。

学園祭でたくさんの人に拍手してもらうのは気持ちよかったですよ。小さいころ、日本舞踊で経験してますから、そういう快感が忘れられなかったんですね。

でも、落語家になろうと思って落研に入ったわけではなく、失恋して寂しいから、仲間を求めてでしたから。経営学部なので、就職に有利だからゼミナールに入ったらどうか、と言われていたのですが、ゼミって全然面白くないんですよ。当たり前ですよね。

バンドと落語のほうが楽しいので、大学を出たら芝居の道へ進もうと思ったわけです。

《卒業の際、両親に「喜劇役者になりたいから5年だけメシを食わせてくれ」と頼み込んだ。意外にも、「1人くらいそんなのがいてもいい」と言われたという》

ちなみに「役者を目指すなら劇団に行ったほうがいいんじゃないですか」と言ってくれたのは、東京出身の私がおしんこへのしょうゆのかけ方をみっちり教えた富山出身の志の輔です。(聞き手 慶田久幸)

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