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感謝と祈りの祇園祭に 意義と本質問い、本来のあり方目指す 京都・八坂神社の野村明義宮司

産経ニュース / 2024年7月21日 10時0分

八坂神社の野村明義宮司=京都市東山区

疫病や厄災を鎮める八坂神社(京都市東山区)の祭礼・祇園祭。今年は祭りが始まって1155年の節目を迎えた。新型コロナウイルス禍で例年通りの祭りが斎行できなかった3年間、祭りの意義と本質を問い続けた。「神様の神慮にかなった、疫病が鎮まっていたころの祭りに戻したい」

「あり方、タイミングなどを自然の摂理に基づいたものにしたい」と話す。

例えば、山鉾巡行(やまほこじゅんこう)は四条通を境に前祭と後祭が往時のように時計回りのコースを進み、祭りも旧暦の水無月(みなづき)に戻す-。いずれもすぐに実現するのは難しい。

「最も重要なのは水と(空)気が清浄であること」という。現代のような水道設備などのインフラが整備されていなかった平安時代には、水がよどんだことで疫病が蔓延(まんえん)した。水の浄化こそが疫病除けにつながった。

水といえば、本殿(国宝)の下には「龍穴」と呼ばれる大きな池がある。深さ「50丈(約150メートル)にをよびてなお底なし」との記録が残る。池は現在、漆喰(しっくい)の蓋で固められているが、水脈は生きており水をくみ上げることができる。

3月下旬、熱心な氏子とともに本殿の縁の下をはうように潜り、漆喰の場所までたどり着いた。そこは本殿の3柱の祭神がまつられている真下で、2メートルほどの空間が現れた。漆喰を取り除けない代わりに、氏子が奉納した金の御幣を1本立てて、祈りの形を整えた。

水脈は祇園祭発祥の地である神泉苑(同市中京区)とつながり、龍神が行き来すると伝えられる。令和4年、神社の神水と神泉苑の「閼伽(あか)水」を交換する神仏習合の儀式を発案して始めた。両者の水をブレンドして「青龍神水」と名付け、山鉾巡行の辻回しや神輿渡御(みこしとぎょ)の清めの水として使っている。さらに、祇園祭期間中の7月18~24日に、筆頭氏子の宮本組が神社から四条御旅所(同市下京区)に青龍神水を運び、神輿に供える。お供えされた水は鴨川に流されて町を清める。

今年は天延2(974)年に円融天皇(959~991年)の勅命によって御旅所を設け、神輿渡御を恒例化してから1050年の節目に重なる。八坂神社は同年、比叡山の別院になり、元亀2(1571)年の織田信長による比叡山焼き打ちまでその支配下にあった。

そうした節目にあたり、20日には比叡山との神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」を行い、国家安寧と疫病退散を祈った。「神仏と龍神の神威で『祇園感神院(かんしんいん)』と呼ばれていた時代の形に近づけたい」との思いがこもる。

「昨今、疫病を鎮めるための祭りが、見る祭り、経済効果を求める祭りに変わりつつある」と警鐘を鳴らした上で、「本来は信仰のための祭り。感謝と祈りを忘れないでほしい」と力を込めた。(田中幸美)

のむら・あきよし 昭和34年、石川県七尾市生まれ。実家は同市内の久志伊奈太伎比咩(くしいなたきひめ)神社の社家。皇學館大神道学科卒業後、57年から乃木神社(東京)の権禰宜(ごんねぎ)を務め、江戸前期の儒学者・兵学者の山鹿素行の思想や陰陽道(おんみょうどう)を独学で学ぶ。平成5年に八坂神社に転任、陰陽道に基づく独自の暦「祇園暦」を毎年作成している。17年から禰宜を務め、令和3年に宮司に就任した。

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