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米国と対等だという意識を持とう 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<2>

産経ニュース / 2024年9月2日 10時0分

(関勝行撮影)

《戦後79年がたった。その間に日本を取り巻く世界情勢は大きく変化した。日本外交は正しい道を歩んできたのか》

第二次世界大戦後の日本外交は、大きく言って正しい道を歩んでいると思う。吉田茂首相のサンフランシスコ講和条約(1951年)、安保条約、岸信介首相の安保改定(60年)、佐藤栄作首相の日韓基本条約(65年)、沖縄返還(72年)、田中角栄首相の日中国交回復(同)など国内の大きな反対を押し切って今も基盤となっている。

近くで言えば安倍晋三首相の安保法制(2015年)、岸田文雄首相の防衛費2%、反撃能力がこれにあたる。いずれも先を読んでの英断だった。

とかく隣の芝生は青く見える。英国の伝統的外交、フランス独自の外交、米国の戦略的外交、中国三千年の知恵に比べ日本は無為無策と映る。しかし戦後80年近く一兵も訓練以外で死なせず、世界第3位、第4位の経済を作り上げ、国内の治安も保たれているのは、時宜に適した外交をしてきたからだろう。

明治維新から150年余になる。維新の年に生まれていたら26歳で日清戦争、36歳で日露戦争、50歳でシベリア出兵、63歳で満州事変、69歳で日中戦争、73歳で先の大戦である。戦後生まれの私は一度も戦争を経験していない。どちらがいいか自明だろう。

《しかし、近年の安全保障環境は大きく変化した。これからは何が必要だと思うか》

日本は主要7カ国(G7)で唯一、ロシア、北朝鮮、中国と海で隔てられてはいるが、接する国である。ロシアは北方領土占領を続け、北朝鮮は年数十回、弾道ミサイルをわが国の方向に発射し、中国公船は尖閣諸島の日本領海に月3回、接続水域にほぼ毎日入ってくる。日本の安全保障を考えれば米国と結ぶしかない。

在米大使館政務公使4年、北米局長3年、駐米大使4年半と外務省生活後半は対米関係が多かった。安全保障関係が難しいのは、日米が一体であることを見せることが抑止力の根幹だからだ。実際は、特に基地問題などではいろいろ厳しい折衝をするが外には出せない。すると日本政府は米国の言いなりではないかというイメージができてしまう。宿命的構図だと思った。

たとえば、米軍司令官や米大使は在任中に米艦船の新しい寄港地をつくりたいと考えた。必要性があるならいいが、そうでなければ、そこで反対運動が起きてもし中止したらほかにも広がる恐れがある。あえて火中の栗を拾う必要はないと思った。こういう議論は表に出ない。

《では、日本は米国の言いなりではないか、というイメージを払拭していくにはどうしたらよいと思うか》

日本は安全保障を米国に委ねてはいるが、米国に遠慮し過ぎて当然視されてはいけない。いろいろなプログラムや交流を検討するときもまず、互恵性、双方向的であるかと考えることが大事だ。要人は原則自分と同ランクと会うべきだ。日本の関係者がワシントンに行って与えられる待遇も考えながら東京でも対応すればいい。

外務省北米局長のころ、米国国務省から「職員を外務省で研修させたい」という提案があったので、「こちらも国務省で研修させてもらえるなら受け入れる」と言うと断られた。だが、数年後、国務省が折れて相互交流が始まった。こういうことは細かく見えるかもしれないが、国の姿勢を示すうえで大事だ。

要は、外務省も経済界も政治家も、米国と対等であろうという意識を持つことが重要であると思う。

もちろん当然視しないのはお互いさまだ。日本も米国の若い兵士が命がけで日本の安全や世界の民主主義のために戦っていることをおろそかに思ってはならない。大事なことは、日本と米国が「倦怠(けんたい)期」に入らず、相互への敬愛を常に新たにしていくことだと思う。(聞き手 内藤泰朗)

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