1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「おくのほそ道」で松尾芭蕉が最長滞在した栃木・黒羽地区 〝芭蕉の里〟を訪ねる 味・旅・遊

産経ニュース / 2024年9月8日 9時0分

江戸時代の俳人、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中、最も長く滞在した栃木県北部の大田原市黒羽(くろばね)地区(旧黒羽町)。江戸時代、黒羽藩大関家の城下町で那珂川の水運で栄えた商都でもあった。芭蕉はなぜ、この町に長滞在したのだろう。〝芭蕉の里〟黒羽を訪ねた。

「那須の黒羽といふ所に知る人あれば…」。芭蕉は紀行文「おくのほそ道」の中で、黒羽を訪ねた理由を、こう記している。芭蕉が弟子の河合曽良(そら)を伴い江戸をたったのが元禄2(1689)年3月27日(旧暦)。翌28日には栃木県域に入り、現在の小山、栃木、鹿沼、日光の各市などを経て4月3日に黒羽に着いた。

150日のうち14日

芭蕉がいう「知る人あれば…」とは、黒羽藩城代の浄法寺高勝(たかかつ)(俳号は桃(とう)雪(せつ))、弟で同藩士の鹿子畑豊明(とよあき)(同翆(すい)桃(とう))の兄弟。ともに芭蕉の門弟だった。

黒羽でまず、訪ねたのは芭蕉や「おくのほそ道」などの資料を展示している「大田原市黒羽芭蕉の館」。施設は黒羽城跡内にあり、玄関前には馬にまたがる芭蕉と付きそう曽良のブロンズ像が、また館内のエントランスホールには約5カ月に及ぶ「おくのほそ道」の旅の順路がわかるジオラマ風の地図や、代表的な旅の場面を紹介したカラーパネルなどが展示されていた。

同館学芸員の新井敦史さん(57)によると、芭蕉は黒羽に14日間(13泊14日)滞在。約150日、約5カ月にわたる「おくのほそ道」の旅の中で、最も長く黒羽に滞在した。うち浄法寺邸に8泊、鹿子畑邸に5泊。滞在中、芭蕉は少なくとも7句を詠んでいるという。

「木啄(きつつき)も庵は破らず夏木立」

その1句は黒羽の中心部から約10キロ以上離れた禅宗の雲巌寺(うんがんじ)で詠んでいる。芭蕉の禅の師、仏頂和尚が修行したのが同寺。当時は和尚が修行した庵跡が残っており、芭蕉を喜ばせたという。その思いが句に込められた。訪ねてみると、朱塗りのアーチ橋と山門が厳かな姿をみせ、よどみを感じさせない空間が広がっていた。境内には江戸時代に建てられた後、明治時代に再建された句碑があり、和尚を尊ぶ芭蕉の思いの一端に触れたような気がした。

歌仙の会で36句

また芭蕉は黒羽で歌仙の会を催し、36句からなる連句を作っている。催したのは芭蕉が黒羽で最初に滞在した鹿子畑邸。芭蕉、曽良、翆桃(鹿子畑)、桃雪(浄法寺)のほか、地元の人も加わり数日かけて完成させた。鹿子畑の邸宅跡には歌仙で詠まれた36句を紹介した大きなパネルが立っていた。曽良が書き留めたという。

「秣(まぐさ)負ふ人を枝折の夏野哉」

「青き覆盆子(いちご)(を)こぼす椎の葉」

発句は芭蕉。これに翆桃が応えた。再会を喜ぶ芭蕉の思いが伝わってくる。

学芸員の新井さんは「芭蕉が弟子の翆桃、桃雪、土地の人たちにも温かく迎えられている様子が『おくのほそ道』の黒羽の部分から感じられ、旅の中で最も充実したときを黒羽で過ごしたのではないか」と長滞在となったわけを推測。「黒羽には芭蕉ゆかりのスポットや句碑なども多く、ぜひ訪ねてほしい」と話した。

芭蕉の足跡が数多く残る黒羽。毎年6月には芭蕉をしのんで全国俳句大会も開かれている。

(伊沢利幸)

大田原市黒羽芭蕉の館 東北新幹線那須塩原駅から大田原市営バスで約35分。東北自動車道の西那須野塩原ICから約35分。【問】0287・54・4151。

雲巌寺 東北新幹線那須塩原駅から大田原市営バスで約50分。東北自動車道の西那須野塩原ICから約50分。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください