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帰ってきた令和阿房列車で行こう 第二列車 永遠のケービン② 那覇に眠る鉄路の記憶

産経ニュース / 2024年6月15日 10時0分

沖縄本島を走るモノレール「ゆいレール」(注)は果たして鉄道なのか、そうではないのか。

元祖サンケイ君ことサンケイ1号君の見解はこうだ。

「適用される法律が、鉄道事業法と軌道法の違いはあれど、鉄道には変わりありませんよ。県民の皆さんも『鉄道』として受け入れてますし。でもやっぱり、沖縄に2本のレールの上を走る列車が走ってほしい」

まったく同感である。

そもそも沖縄本島には、大正時代から島人にケービンと呼ばれていた軌間762ミリの軽便鉄道が走っていた。

「ゆいレール」に乗る前に、ケービンの「遺跡」を訪ねることにしよう。

1号君が運転するケービンの生まれ変わりのような小さな自動車に乗って、まずは那覇駅跡へ。現在の那覇バスターミナルのすぐそばにあった旧那覇駅は、旅客を運んだ3路線の起点で、転車台跡が残っていた。

那覇には、仕事で何度も訪ねたことがあるが、旧那覇駅の遺構が街の中心地に遺(のこ)されていたとは、まったく知らなかった。

さすがは1号君、何でもよく知っている。転車台の遺構には、蒸気機関車のミニチュアも飾られていた。

「もう少し行くと線路の跡が遺っていますよ」

1号君に促されて現代のケービンに乗り込むと、旧那覇駅と古波蔵駅間にある壺川東公園に着いた。

雨がしとしとと降り続ける公園は、雑草は伸び放題。当然の如(ごと)く子供の姿はない。

そんな公園に軽便鉄道の線路跡とディーゼル機関車が無造作に展示されていた。

「機関車も遺っているじゃないか!」

驚いて声を上げると、1号君に、こうたしなめられた。

「よぉく見てくださいよ。あんなディーゼル機関車が戦前、あるわけないでしょう。あれは南大東島でサトウキビの運搬用に使われていた『シュガートレイン』です。ついこの間、島で見てきました」

得意げに諭されたが、確かにそうだ。

残念ながら保存状態は、良好ではない。車体に落書きまでされている。が、遠く離れた南大東島からわざわざ機関車を運び、なんとかこの地に鉄道が敷かれていた記憶を後世に遺したい、という先輩方の強い意志がひしひしと伝わってくる。

涙のケービン物語の続きは、明日のこころだぁ!(乾正人)

ゆいレール 正式名は、沖縄都市モノレール線。「ゆい」は村落共同労働を意味する沖縄の方言。昭和57年に沖縄都市モノレール株式会社が設立され、本格的に敷設計画が始動。平成8年、軌道本体の工事に着手。同15年、那覇空港―首里間12・9キロが開通。令和元年、首里―てだこ浦西間の4・1キロ延伸。同5年、一部が2両から3両編成になった。

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