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12歳の少年が見た昭和元年 年末に大正が終わった 正月は雑煮を食っていいのか プレイバック「昭和100年」

産経ニュース / 2025年1月1日 8時50分

新陛下の践祚を伝える大正15年12月25日付けの時事新報朝刊

ここ数日の寒さで熱を出して寝込み、昼過ぎに寝ぼけまなこで起きると、一晩で元号が「大正」から「昭和」に代わっていた。

父によれば、天皇陛下が崩御したのは12月25日午前1時半ごろ。明け方には新聞の号外が配られ、昼前には「昭和」の新元号が発表されたという。父はラジオで一晩中ニュースを聞いていて、時々声をかけてくれたが、僕は起きなかったようだ。

わが家は8人家族。明治生まれの父、正治と母のキヨ、僕ら4人兄弟は全員が大正生まれで長男の僕が一郎で、二郎、三郎、四郎と続く。祖父の源蔵は徳川将軍がいたころの安政7年生まれ、祖母のすゑは慶応元年の生まれだ。父は相場や株式に投資するような仕事をしていて、昨年から放送が始まったラジオを買ったのも相場の情報を得るためらしい。

陛下はまだ47歳だった。以前から体調が悪いことは国民も知っていたが、この夏からは葉山の御用邸で療養されていた。今月に入ってからはさらに症状が悪化され、国民の間でもご回復を祈る声が高まっていた。

漢文に詳しい祖父によれば「昭和」は、中国の書物「四書五経」の「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)、協和萬邦(きょうわばんぽう)」から取ったもので、「国民の平和と世界各国の共存と繁栄を願う」という意味らしい。「百姓」はお百姓さんのことではなく、さまざまな人々のことで、「萬邦」が世界各国を指しているという。

夜中にどこかの新聞社が「新元号は光文」という号外を出して、訂正したようだが寝ている間のことなのでよくわからない。それよりも僕が気になるのは、近づいていた正月だ。国民は喪に服すだろうから、多分ナシだろう。年賀状も数日前に送ってしまったので取り返しがつかないが、叱られるのだろうか。

今は「昭和」という新しい時代が始まるという気分より、自分や弟たちが生まれた大正という時代が終わることがさみしい。僕が生まれた大正3年は、欧州で「世界大戦」と呼ばれる戦争が始まった年だ。小さかったのでよく覚えていないが、父が相場で大もうけしたという話だけは幾度となく聞いた。

大正で一番大きな出来事は3年前の関東大震災だろう。僕が9歳のときで、家も学校も焼けてしまった。当時は大戦による好景気や大正のモダンな文化に浮かれた日本人への「天罰だ」と言う人も多くいて、僕も何だかバチが当たったような気がした。

あの日は新学期で学校は早く終わり、帰り道で大きな揺れにあった。すぐに火の手がわが家にも回り、まだ生まれたばかりだった弟の四郎は、母が腕に大きなやけどを負いながら助け出した。近所の家もほとんどが焼けてしまって、知り合いも何人も亡くなった。もう東京中が焼け野原になるようなことは二度と起きてほしくない。

ただ、「帝都復興」には何十年もかかると言われていたが、今はガレキの山もすっかりなくなり、新しく広い道路の建設も進んでいる。ガレキは東京湾に運ばれ、将来は埋め立て地になるそうだ。僕の学校も鉄筋コンクリートで再建されるらしい。家も前より小さくなったが建て替えられた。

震災で工事が中断していた山手線も去年11月、東京市内一周がつながった。まだあちこちに更地も多く、バラックに住む人も大勢いるけど、ここまで復興できたのは天罰に負けなかった日本人の底力だろう。

震災の翌年には、延期されていた皇太子裕仁さまと良子さまのご結婚式が行われた。新しい天皇陛下になられる方だ。

明治34年生まれの陛下は今年25歳。皇太子時代の20歳の時から摂政を務められていた。震災の時も半月後には馬に乗って上野公園などを視察されたというから、避難していた人たちは驚くと同時に勇気づけられたことだろう。

明治は45年、大正は15年で終わってしまったが、日本の人口は明治維新から倍近い6000万人にを超えた。日清、日露、世界大戦で勝利し、わずか60年ほどで日本は世界の中でも一等国になった。だからこそ震災でも多くの国から支援や救援物資が届いたのだと思う。

大陸では支那人同士の争いが続いていて、現地の日本人は危険な目にあうことも多いらしい。ただ、世界は大戦の反省に立って国際連盟というものを作り、日本もそのリーダーの一国に選ばれた。これでもう大きな戦争が起きることは絶対にないはずだ。

年末の新聞には、わずか7日間の「昭和元年」に生まれたかわいい赤ん坊の写真が載っていた。昭一君というそうだ。この子が大きくなるころも世界が平和であってほしいと願うが、まずは目の前の正月だ。喪中とはいえ、やっぱりお雑煮を腹いっぱい食いたい。そして、弟たちと凧揚げやすごろくをして、たくさん遊びたいと思う。

大正の少年たち

本文に登場するような昭和の始まりに立ち会った子供たちは、みな大正生まれだ。やがて訪れる先の大戦では、大正生まれの男子約1340万人のうち7人に1人にあたる200万人以上が戦死した。戦死者の総数230万人の9割近くを占めることになり、学徒動員などとも重なった大正10年代生まれは特に犠牲になった人が多いという。昭和という時代は、わずか15年の間に生まれた「大正世代」の尊い命の上に成り立っていた。

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