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松木謙治郎コーチと運命の出会い 徹底した右手強化「歯ブラシが持てなかった」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<11>

産経ニュース / 2024年12月12日 10時0分

松木謙治郎氏(右)から打撃指導を受ける=昭和44年2月、静岡・伊東球場

《契約金200万円で東映に入団したが、同期で巨人に入団した王貞治さんは破格の契約金だった》

王とはその後、ずっと付き合うことになりますが、高校時代の実績が違う。甲子園に出場しているし、優勝もしている。契約金は1800万円はもらっていたのかな。でも(プロで)稼げばいいってことですよ、この世界は…。高校3年生の秋、東京・駒沢にある東映のグラウンドでプロの練習に参加しました。一緒にやって「やっていける」と思ったんです。これくらいならプロ野球で通用するって。そんな手応え、ちょっと自信が出ていたんです。

《いきなりの〝ダメ出し〟が運命の出会いとなる》

(昭和34年の)プロ1年目、春のキャンプ(静岡・伊東)に合流しました。打撃コーチは松木謙治郎さんです。1週間ほど黙って私のバッティングを観察していたと思います。そして呼ばれました。「このままじゃ通用しない。お前は右手が弱い」といきなり言われたんです。「やっぱりそうですか」って。「お前、右手はどうした?」。「やけどして」。「そうか」って。松木さんの打撃論はスーッと私の中に入ってきました。

「右手が弱いから、左手がかぶる。だから打球が途中で失速する」という。「右手を放り投げるようにスイングするとインパクトで左手が返らず、(左中間方向へ飛んでも)ショートの頭上から打球も伸びる」と言われた。だから「右手を強化しないとだめなんだ」と諭すように話されたんです。

たとえば王のバッティングを見るとわかります。どんなホームランでも、必ず最後は右手一本で放り投げている。左手が付いているホームランは1本もない。パーンとインパクトして右手で大きなフォロースルーを取っている。左バッターはそうでなきゃ。右手を強く引き込むと球が伸びる。打球が捕られるか捕られないかでは、天と地の差がある。外野への打球も同じです。私にとって〝右手強化〟はプロで生きるための生命線だったんです。

それとステップしたときに〝右足の先が開く〟と指摘されました。王は柔らかいから、ステップしたときに、ほぼスクエアで待てる。私は足首が硬いからステップしたとき、ちょっと開かなきゃだめなんです。スクエアから45度くらい開く。松木さんはそれを見ていらっしゃったんですね。開いたら軸がぶれる。打てないですよ。この2点だけを直せと言われました。

伊東キャンプでは1カ月間、右手一本で毎日600本くらい打ってました。松木さんが膝をついてトスをする。私はネットに向かって打つ。今ではどの球団もやってますが、ネットに打つスタイルは松木さんが私のために発明したんです。毎日毎日、普通の練習が終わってから松木さんとマンツーマンです。右脇の下が痛くて、歯ブラシが持てなかった。歯が磨けない。

今の時代なら休みますよ。どこかに痛みがあると大事をとってすぐ休む。あのころは「痛い? お前が弱いから痛いんだ」と怒鳴られた。それでもやって崩れなかった。痛みも消えていった。松木さんには「お前の長打力は魅力だけど、左打者だし足が速い。それは武器になる」ともね。私の打法は〝広角打法〟〝安打製造機〟などと称されましたが、すべては松木さんとの出会いが原点です。

《松木さんは阪神の主軸として戦前の12年春、首位打者、本塁打王。阪神、大映、東映の監督を務め、53年に野球殿堂入り》

あの人は上手なんですよ、コーチとして。監督としてはちょっとでしたけどね(笑)。頑固だし、一徹だし、熱心でした。いままで何十人に聞いたけど、一番だね、バッティング理論は…。もし松木さんに出会わなかったら、私はダメだったでしょうね。これも運命ですね。(聞き手 清水満)

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