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「再会」した水原監督に勝つ野球を学ぶ 反抗⁉ 試合中に敵ベンチから抜け出して帰宅 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲(84)<13>

産経ニュース / 2024年12月14日 10時0分

優勝トロフィーを引いてグラウンドを一周する東映ナイン。右から2人目が水原茂監督、左から2人目が本人=後楽園球場、昭和37年10月

《昭和35年、球宴初出場の第3戦(後楽園球場)では村田元一(当時国鉄)から右翼席に2ランを放ってMVP、自身初の3割超え(3割2厘)を記録もチームは5位。翌36年、前年まで巨人在籍11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に導いた〝名将〟水原茂さんが監督就任》

東映の大川博オーナーがチーム刷新をはかって招聘(しょうへい)したんです。浪華商2年生のとき、「巨人に来ないか」と誘われた(10回目参照)水原さんとの〝再会〟は刺激的で、野球観が変わった。

キャンプ初日、水原監督が選手を集めて話した。「最優先すべきはチームの勝利。そのために1個のボールに全員が集中しなければならない。チームが強くなればファンも来る。球団ももうかる。選手の幸せになる」とね。それまで選手は(その時点で球団創設15年、14度のBクラスの)チームのことなんか考えない。自分の成績だけ優先するようなチームでした。それをガラッと変えた。キャンプでも連係など徹底的にチームプレーの練習が増えました。

《主砲を即刻、2軍へ降格》

象徴的なことがありました。山本八郎さんを2軍に落としてしまうんです。山本さんは浪商では私の3年先輩で、チームの4番を打っていた。本職は捕手ですが、水原監督は打撃を認め、一塁手にコンバートした。あの人は気が小さく、我慢できないタイプなんです。(前年35年、114試合出場の捕手を)外されて面白くないのか、ついわがままみたいな態度が出ちゃう。野球は何が起こるかわからない。でも打っても全力で走らない、守っても雑なプレーとか。われわれが見ても、〝ああ、ダメだな〟っていうプレーをしちゃう。

捕手では(36年4試合)、投手がサインに首を振っているのに山本さんが「カーブ、言ったやないか」って怒鳴る。そんなこと言う人いませんよ。投手はびびる。そんなチームプレーに反する細かなことまで監督は観察していた。「お前ら、勝つためにやってるんじゃないのか。チームプレーでやらないと勝てないんだ!」と2軍行きです。

しばらくして山本さんが1軍に戻ってきた。浪商の先輩で東映OBの米川泰夫さんに連れられてね。「監督、すみませんでした」と謝罪する山本さんに監督は「俺に謝るな。チームに迷惑をかけたんだろ。チームに、選手に謝ってくれ」と選手の前で頭を下げさせた。これまでの首脳陣は腫れ物に触るように接していたのに、水原さんは容赦がなかった。

《張本さんも反抗?! ある試合の守備固め。一度左翼の守備に就いてから交代を告げられた怒り?で自軍ベンチに戻らず、敵ベンチから球場を抜け出してそのまま帰った〝事件〟…》

代えられるのはいい。でも守備に就いてからは屈辱です。処分は覚悟してました。次の遠征で監督に呼ばれました。「お前の気持ちはわかる。でも監督には直感というものがある。守備に就いてから何か打球が行きそうだなと。代えずに負けたら悔いが残る。これが勝負勘だ。お前が将来監督になったらわかる」って。納得するしかなかった。

水原さんは巨人で実績を作ってきた人です。指導者が代わってチームの雰囲気もガラッと変わった。これが勝つ野球なのかって。最後まで優勝を争った南海には直接対決(10月15日、駒沢球場)で敗れたが、チームは83勝52敗5分けで前年の5位から2位です。私は打率3割3分6厘で初の首位打者を獲った。「やればできるじゃん」の思いでした。南海の鶴岡一人監督の胴上げが始まりました。見たくない。引き揚げようとすると監督が「全員出てこい」、「胴上げ、見とけ! この悔しさを忘れるな」って。ベンチの前で見させられたんです。今、日本でもアメリカでも相手の胴上げを見てるでしょ。でも全員かどうか。あのときは監督命令で全員でした。

で、あくる年に優勝ですよ。(聞き手 清水満)

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