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昭和の東京五輪 通訳や道案内も万全 警視庁150年 49/150

産経ニュース / 2024年6月18日 7時0分

国立競技場で警備する警察官。DJポリスは、この頃、すでに存在していた=昭和39年10月21日

アジアで初めて開催された昭和39年10月10日開幕の東京オリンピック。94カ国7200人の選手や関係者が訪れた大会を陰で支えたのは全国から集められた延べ約28万3千人の警察官だった。

警視庁が39年11月にまとめた『オリンピック東京大会の警察記録』によると、交通や警備対策の準備と計画には4年半の歳月をかけたという。

懸念の一つは「言葉の壁」だった。警視庁は通訳センターを開所し8カ国語で対応。「通訳警察官」が会場周辺や空港に配置され、荷物の紛失から道案内、交通整理などに従事。期間中の地理案内は1万2693件にも上った。丁寧な対応は外国人に好評で「金メダルは日本警察に」と絶賛した外国人記者もいた。

警視庁の各部も対応に当たった。公安部が対応した亡命事案は警察記録によると、10件14人。刑事部は「東京大会すり犯捜査本部」を設置し、期間中の被害を前年同期から半減させた。防犯部は盛り場対策と入場券の高額売買の摘発を強化。豪選手が銀座のバーでぼったくられ、築地署が警告を出したこともあった。

大会は大きなトラブルなく終わった。ただ、最終日、警備中の東調布署長、田島領四郎警視が選手用の乗用車にはねられ、殉職するという悲劇も起きた。(大渡美咲)

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