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タブーなし…オウム真理教も登場 放送禁止用語で〝挑発〟や右翼団体代表らの激論も 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<24>

産経ニュース / 2024年10月25日 10時0分

記者会見する麻原彰晃元死刑囚=平成2年

《「タブーは一切なし」という触れ込みだった『朝まで生テレビ!』(「朝ナマ」、テレビ朝日系)。被差別部落の問題を取り上げた回では、いわゆる「放送禁止曲」や「放送禁止用語」を冒頭に読み上げた》

(ゲスト出演者の常連だった)野坂昭如(あきゆき)さん(作家)がかねて「放送禁止用語」をわざと連発して僕を〝挑発〟してきたことは以前、話しましたよね。僕もいずれ被差別部落の問題をやりたいと思っていた。

(「朝ナマ」は)とにかく一切タブーを認めない、という方針だったから。他の局や番組ならば絶対に出ない人たちにも来てもらって徹底した議論をしたいと思った。ただ、地方の系列局によっては放送をしなかったところもありましたね。

《1990年代初めには、オウム真理教のメンバーが度々「朝ナマ」に出演した》

僕は、麻原彰晃(あさはらしょうこう)(元死刑囚)にインタビューしたこともある。東京都内の道場で初めて会ったとき、「空中浮遊をしてくれ」と言ったら「ここではできない」。(行方不明になっていた)坂本堤弁護士一家の話にも答えませんでしたねぇ。

当初の僕の印象ですか? 麻原は、どこかまじめな男に見えたなぁ。反体制、反権力というか、日本の社会をぶっ壊したいのだろう、と。(挫折した)全共闘運動の後、反体制は皆「逃げた」けれども、彼ら(オウム)は立ち向かってきた。

だけど、地下鉄サリン事件(平成7年3月)を起こしたことで、これは「絶対にダメだ」と思いましたね。

《「朝ナマ」では警視庁の強制捜査(同月)直後にも、オウムの幹部らを呼び、集中してこのテーマを取り上げた》

視聴者からの抗議ですか? 「反対」一色ではなかったと思う。圧倒的に反対が多かったらやりませんよ。警察の動き(強制捜査)と番組は別だと考えていましたしね。

オウムの幹部らが出演者の顔ぶれに納得せず、番組開始ぎりぎりまで(プロデューサーらが)交渉に苦労したこともあったかな。とにかく僕は、なぜあんな事件を起こしたのかを知りたかったのです。

《これに先立つ2年1月、昭和天皇の戦争責任問題について発言した長崎市の本島等(もとしまひとし)市長(当時)が右翼団体の幹部に銃撃され、重傷を負う事件が起きた。同2月、「朝ナマ」は、各右翼団体の代表らが参加して激論を行う》

この番組が成立したのは、初期のころから「朝ナマ」に出てくれていた野村秋介(しゅうすけ)さんの力が大きかったと思う。

もちろん、「心配」はありましたよ。どんなことが起きるか分からないんだから。

「朝ナマ」に限らないけれど、実際、僕の発言に対して脅迫まがいの電話がかかってきたり、〝弔電〟が届いたり。

抗議は「右」からも「左」からもありました。歩いていて突然、殴られたことも。だけどね(強がって言えば)それも、面白いんじゃないですか。

激しい抗議を受けたときは、もう「直(じか)に話す」しかないと考えたこともあります。仲立ちをしてくれる人がいて、実現しましたが、僕1人に対して相手は200人以上、2時間以上にわたって論争しました。

《〝タブーなし〟にはいろんな人の協力があった》

僕だけが「朝ナマ」を背負っているんじゃなくて、いろんな人が僕の身を心配して守ってくれた。番組が潰れて無くならないようにと尽力してくれたのです。ありがたいことですね。(聞き手 喜多由浩)

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