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「光る君へ」衣装デザイン 手探りで決めた平安のイメージカラー 日本画家、諫山宝樹さん

産経ニュース / 2025年1月3日 14時0分

雅楽にも興味があり、約10年前から篳篥を習っている。祇園祭の神輿洗式の関連神事では、雅楽班の一員として演奏した(中央)=昨年7月、京都市東山区(田中幸美撮影)

主人公、まひろ(紫式部)とソウルメイト、藤原道長の絆を軸に、平安貴族の濃厚な人間模様を描いた2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。衣装デザイン担当として美しい平安装束を現代によみがえらせ、ドラマに鮮やかな色彩を与えた。

平安の景色「妄想」色彩生む

衣装デザインは、登場人物の年齢ごとに衣装の色合わせを考案する仕事だ。平安装束は何枚も衣を重ねるため、色の組み合わせは何通りにも及ぶ。最初の衣装合わせで約50パターンを一気に作り上げたときが最も大変な作業だったと振り返る。

NHKの連続テレビ小説「スカーレット」で主人公の女性陶芸家らに絵の指導を行ったことなどが縁となり、「光る君へ」のチーフ演出の中島由貴さんから声をかけられた。

3年前、取材で京都を訪れた中島さんから、光る君への演出を手がけていると聞いたときには「ようあんなややこしい時代に手を出しはりますわ」と、まるでひとごとだった。「そういえば諫山さん、絵描きだったよね」。この一言で突然、衣装デザインの仕事が降ってきた。歴史と文化の色濃く残る京都在住ということも決め手となったという。

「平安中期は史料が少ない上、研究者とファンの熱量はすごい。心してかからないと」。アトリエには服飾史や風俗考証など膨大な資料が並ぶが、平安時代の風俗についてはさほど詳しくない。さまざまな資料をあさった。

登場人物が多すぎるので、初期の会議で季節感は度外視し、登場人物ごとのイメージカラーを決めることから始めた。まひろのイメージカラーは紫。若い頃は薄い紫を補色にして、反対の山吹や橙(だいだい)などの明るい色を多用した。道長は、演じる柄本佑さんのイメージも考慮して青。地位が上がるとともに金の織りを入れるなど工夫した。その都度、中島さんからは「(藤原)公任はモテ男」「青ではなくて、縹色(はなだいろ)(あさぎ色より濃い色)」などと、メールで指示が飛んできた。

多い時は数百種以上にもなる無数の色合わせを作るが、どれが採用されるかは衣装合わせの写真が送られてくるまで分からない。「グラデーションを〝におい〟と呼ぶのですが、何ともすてきな響きで、キュンキュンしながら描いた」という。

中島さんは昨年12月1日、NHK京都放送局で行われたトークショーで諫山さんと登壇し、「俳優さんたちが衣装の重ねの組み合わせにとても感動して喜んでくれた」と明かした。放送が終わるたび、交流サイト(SNS)で感想や考察をつぶやく人も増えて、アートや古典文学愛好者にも受け入れられ、ドラマは盛り上がりを見せた。

「昔の人の暮らしにチューニングを合わせるのが好きだ」。満月の夜、キラキラ光る京都御所の瓦屋根を眺めたり、鴨川の河原で周りに見える人工物を頭の中で消したりして、昔の景色に身を置く妄想が楽しい。そんな素質が色への想像力をかき立てたのだろう。

昨年10月初旬、最後の衣装デザインを手放し、2年半に及ぶ生みの苦しみから解放された。「全員が妥協なく臨んでいる現場は本当に面白くて、勉強になりました」。笑顔の中に一抹の寂しさをにじませた。

時代絵巻描き 撮影所で評価

NHK大河ドラマ「光る君へ」で衣装デザインを担当した諫山宝樹さんの本業は日本画家だ。子供のころから絵を描くことが好きで、幼少期から高校卒業まで絵画教室に通った。「勉強は好きじゃないし、運動ができるわけでもない。絵によってアイデンティティーが構築された」と振り返る。

高校2年のとき、上村松園の「焔(ほのお)」を見て、その美しさに衝撃を受けた。嫉妬に狂う六条御息所(源氏物語の主人公の恋人)を題材にした作品だ。松園の孫の日本画家、上村淳之さん(昨年11月死去)が京都市立芸術大で教鞭(きょうべん)を取っていることを知り、1浪して同大日本画専攻に進んだ。

当時、同大の日本画は洋画のような厚塗りタッチが主流。これにはなじめず、模写にはまった。幼いころ、塗るのがもったいなくて塗り絵を模写していたというから、当然だったかもしれない。

打ち込んだのは描かれた往時の色彩を再現する「復元模写」ではなく、退色した色調や剝落(はくらく)などを忠実に写す「現状模写」。「源氏物語絵巻」や「両界曼荼羅」などを手がけ、卒業制作には「風神雷神図」(俵屋宗達)の雷神の模写を選んだ。

その頃から「昔のタッチの絵を好きに描ける仕事ってなんだろう」と真剣に考え始めた。時代劇の背景か、NHKの大河ドラマか-。勢いあまって大学4年時には、展覧会企画という職域でNHKの採用試験を受けた。最終的に試験には通らなかったが、それから約20年後、仕事で大河ドラマに関わることになった。運命とは不思議なものだ。

ある日、大学院の友人から「時代劇の見せ物小屋の無残絵を描くバイトがあるらしい」と聞きつけ、アポも取らずに太秦にある東映京都撮影所に押しかけた。対応した美術監督が「それ、松竹やで。間違えて来よったんか」。その時まで松竹の撮影所があることを知らなかったのだ。

だが、それが縁となって後日、六歌仙をテーマにした2時間ドラマの絵巻を描いた。仕事ぶりが評価され、非常勤で東映撮影所に呼ばれるようになった。大学院2年のときだ。

またあるとき、上司から「若冲(じゃくちゅう)描けるけ」と尋ねられた。江戸中期に活躍した画家、伊藤若冲のことだ。美術品の真贋(しんがん)を通して美術品にまつわる人間模様を描くミステリードラマ「フェイク~京都美術事件絵巻」で、それがNHKとの初仕事となった。

ドラマで使ったある文化財の絵は、原本所蔵者が原本からのデジタル複製出力の使用を認めなかったため、ネットなどを参考に描いた。すると、「原本はどこで手に入れたのか」との問い合わせが来た。「しめしめ、原本なんか見てないぞ」とほくそ笑んだ。模写が精巧だった証となった。

撮影所での作品は、撮影が終わると廃棄される。作者にとってどうなのかと問うと、「せいせいしますね。無駄に破棄するわけではないし、撮影所にとっては絵よりも襖の土台の方が財産になる。次はもっとうまく描けるんじゃないとも思う」と意に介さない。

9年前に独立した。縁あって三千家の菩提寺(ぼだいじ)である大徳寺塔頭(たっちゅう)の聚光院(京都市北区)の座禅会に参加。さらに、千利休の月命日法要の手伝いなどをすることになり、小野澤虎洞住職から「絵、描いたらいい」と誘われ、中国風の子供の「唐子図」を描いた。これが最初の寺社への奉納となった。

広がる仕事の幅 縁がつないだ奉納

NHK大河ドラマ「光る君へ」の衣装デザインを担当し、注目を集めた諫山宝樹さんは現在、寺社に奉納する絵や自身の作品発表に軸足を移し、精力的な活動を続ける。

生國魂神社(大阪市)の近くで育ち、鎮守の森が遊び場だった。「近くにお寺や神社、森とか川がないと生きてる心地がしない」。寺社の美術作品も身近な存在だ。奉納の第一歩となった大徳寺塔頭(たっちゅう)・聚光院(京都市北区)の唐子の襖絵が話題を呼び、あちこちから声がかかった。そのうちの一つが沢庵(たくあん)和尚ゆかりの寺として知られる宗鏡寺(すきょうじ)(兵庫県豊岡市)。たくあん漬けから逃げ出した大根が、好き勝手やらかすユーモアたっぷりの描画の襖絵を制作した。

その後も清水寺や八坂神社(いずれも京都市東山区)、金峯山寺(きんぷせんじ)(奈良県吉野町)などに奉納した。「私、自分で何も決めてへん。人の縁がずっとつながっていろんな仕事の幅が広がっていく」

修験道の聖地、金峯山寺では、本尊の青い金剛蔵王大権現3体を描いた。コロナ禍の令和3年に丸1日、本尊と向き合ってスケッチした。荒々しい憤怒の形相だが、実は慈悲と寛容に満ちあふれている。

山頂の宗教都市にすっかり魅了されて昨年秋、金峯山寺で仏縁を結ぶ「結縁灌頂(けちえんかんじょう)」を受けた。3体の蔵王大権現は過去、現在、未来を表す。結縁灌頂の儀式で、目隠しをされて手を引かれるままに本堂内陣をぐるぐる歩き、目隠しを取られたとき、現在を表す大権現が目の前に突如現れた。思わず「ギャー」と声が出た。そのころ大河ドラマの仕事が佳境を迎えており、「権現さんが背中を押して『今を頑張れ』って言っているのだろう」と、腹をくくった。

金峯山寺は大河ドラマの主人公、藤原道長ともゆかりが深い。道長は寛弘4(1007)年、同寺に参詣し、経筒に自筆の経典を入れて埋納した。「こんな偶然はない。これもご縁」。ドラマのチーフ演出の中島由貴さんを同寺に案内すると、ドラマでは道長の参詣シーンがしっかり描かれた。「少しは役に立ったかな」

昨年9月には、豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)が創建した高台寺(京都市東山区)に、若き日のねねと秀吉の肖像画を奉納した。「うちの寺に作品を納めた人は生きてるうちは報われへんのですけど、死んだらみんな評価されるんです。そんなんでもよろしか」。高台寺前執事長の後藤典生(てんしょう)さんにこう口説かれた。「めっちゃおもしろい」。20~30代の若々しいねねと秀吉を描いた。

後藤さんはさらに、「この肖像画は100年後には文化財になる。複製を作って、(原本は)寺宝にする」と明かした。国宝や重文などの文化財は、保護の観点から高精細複製品が作られることが多いが、現代作家の複製は聞いたことがない。「驚きました。それだけ大切にされている。ありがたいことです」と襟を正す。

「私のことを意識していない不特定多数の人の目に触れられる状況での作品展示に喜びを感じます」と話し、絵の持つ公共性を大切にしたいと強調する。「次にやりたいことをよく聞かれるのですが、実はよく分からない。絵を描いて暮らせたらいいな」。いたずらっぽくほほ笑んだ。(田中幸美)

いさやま・たまじゅ 昭和55年、大阪市生まれ。平成17年、京都市立芸術大大学院保存修復専攻修了。大学院時代から東映京都撮影所で時代劇の襖絵(ふすまえ)や掛け軸などの美術制作に携わり、27年に独立。NHK大河ドラマ「光る君へ」では衣装デザインを担当し、登場人物の衣装の色合わせを考案するだけでなく、劇中の屛風(びょうぶ)絵などの制作も行った。「宝樹」は雅号で、本名は恵実。

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