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「放火魔」引き連れ、ゴールデンタイムだ!! 「司会ぐらいできますよ」と受けて立つ 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<16> 

産経ニュース / 2025年1月17日 10時0分

昭和62年2月ごろ

《初めてのメイン番組では出演した植木等氏のパワーに圧倒された三宅さん。その悩みは同じ番組で出会った伊東四朗氏が受け止めてくれた》

伊東さんは初めて、「三宅ちゃん、自分の笑いをやらなきゃだめだ」と言ってくれました。

伊東さんは番組のコントでは私の笑いを引き出してくれたうえ、返してもくれた。それまでは半分、三宅裕司がいなかったんでしょうね。ある意味、伊東さんは私の新しい笑いのジャンルを作ってくれた。これには感謝しています。

《昭和60年7月、「大きなお世話だ!」(日本テレビ系)が始まった。ゴールデンタイムの月曜午後7時半からの番組を持つことに。スーパー・エキセントリック・シアター(SET)がコントを30分間行うスタイルだった》

この番組では小倉久寛君が意味もなくロンドンブーツを履いていたり、永田耕一君が設定とは関係なく毎回、放火魔の役というのがウケました。

自分としては「作り上げたコント」ができて、好きな番組だったのですが。そのうち、事務所もテレビ局も「三宅裕司に司会はできないか」って探り始めたんです。

私は司会がやりたいわけではなく、喜劇が、演じる笑いがやりたかったので、ずっと拒否していました。

けれど、制作会社の社長とかプロデューサーとかが説得するんですよ。「芸能界というのは、ちょっと名前が売れると、いろいろな才能を見いだしてくるから、それをやっていかなきゃだめだ」みたいにね。

そう言われると、「司会ぐらいできますよ」って受けて立っちゃう性格だったんで―。

最初の司会は61年10月開始の「テレビ探偵団」(TBS系、日曜午後7時半)という番組でした。

《「テレビ探偵団」は、ゲストが昔見ていた思い出のテレビ番組やコマーシャルを見ながら、エピソードを語ってもらう内容だった》

平均15%だそうですから、今考えるとすごい高視聴率ですよね。

そのころ、とにかく1年間は朝から晩まで(テレビに)出まくるというコンセプトでやろうということで、62年10月からは「おめざめマンボ」(テレビ朝日系、土曜午前7時)という早朝番組が、同時期に「パッパラパラダイス」(TBS系、日曜午前0時半)という深夜番組も始まりました。

「パッパラパラダイス」はコント番組です。「大きなお世話だ!」が終わり、司会が増えてきたので、「演じる笑いをやれる番組をやりたい」と言い出し、散々文句を言って、作ってもらったんでしょうね。僕が怒るものだから。

ラジオ(ニッポン放送「ヤングパラダイス」)は午後10時から午前0時のヤングタイムと言っていた若い人が中心の時間です。

テレビは「大きなお世話だ!」も「テレビ探偵団」もゴールデンタイムです。当時はお茶の間でみんなが見ている時間ですから、幅広い年代に名前が浸透してきました。

名前が売れてからは、SETの公演に「マスコミで見た三宅裕司が出ているから」とやって来る人が多くなるわけです。

そういう意味では客層も幅広くなったかもしれないですが、とにかく若い人が増えました。中には放火魔(永田君)を見に来る人もいたみたいでしたね。(聞き手 慶田久幸)

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