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写真漬けの日々、大物活動家に興味抱き 高かった課題のハードル「調子のいい」に「?」 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<14>

産経ニュース / 2024年7月14日 10時0分

日芸写真学科に在学中、課題に追われていたころ

《写真を本格的に学ぼうと進学した日大芸術学部写真学科。単位取得に四苦八苦した》

大学で一番大変だったのは1年生のときです。高校のときの体罰とは違う厳しさで、今度は「卒業どころか進級もできない」みたいなところまで、追い込まれました。高校までに学んだ写真の知識なんて、〝ままごと〟でした。特に印象に残っているのが「写真基礎」。今は退職された松田義弘先生の授業です。

松田先生からは最初に、「1年間で運良く進級できたら、誰に見せても『これが写真です』と言えるものを撮れるようにしてやる」と言われました。つまり「今、君たちが撮っているのは写真とは呼べない」ということです。

この授業では毎週テーマが与えられ、1年間で合計27になりました。これに全部合格しないと進級できません。石膏(せっこう)像、ガラス器、人物…。課題は多岐にわたり、撮影の条件もありました。「人物撮影はライト1灯で斜め上から、カメラはシノゴ(4×5インチのフィルムを使う大判カメラ)」「建物は水平垂直を出す」「球体は中心部をハイライトにして、グラデーションをつけ質感を出す」とか。

《高かった課題のハードル》

クラスは20人いましたが、夏休みが終わるまで誰一人、ひとつも課題をクリアできませんでした。「写真には学生番号と名前を書いた札を写し込む」というルールもあり、インチキはできません。

9月になると、コツを覚えた天才肌のヤツはどんどん課題に通るようになりました。私は年明けまで、ひとつも通らなくて焦る一方でした。ほぼ毎週、テーマが出るんですから。「できた!」と見せに行っても、不合格だと初めからやり直し。シノゴのカメラを構え、フィルムを入れてライトを当てて撮影、フィルムを現像してプリントして…。時間ばかりが過ぎていきました。

テーマを出す際、先生の説明が「調子のいい写真」などと抽象的で解釈に苦労しました。プリントの「硬い」(硬調)と「ねむい」(軟調)も分からないのに、「調子のいい写真」とか「解像力が…」とか言われても「?」です。行間を読み取らないといけないですから。

でも、ある程度分かった瞬間がありました。「先生が言いたいのはこれか!」と。これが年明けくらいで、そこから一気に審査を通るようになりました。そして1年生の終わりギリギリに、何とか課題をクリアできました。

勉強もキチンとやっていました。入学前、写真学科に対する意識は文系でしたが、はっきりいって理系なんです。数Ⅲが出てくる理論もありました。受験科目に数学はなかったのに、いきなりですから。「話が違う」となってきつかったです。1年生のときに単位は取れましたが、数学は難儀しましたね。

《大学の勉強やアルバイトに追われながらも、自分で決めたテーマの写真も撮りたかった。最初に撮影をもくろんだのは誰もが驚く人物だった》

1年生のときから、銀座の数寄屋橋交差点でいつも街頭宣伝活動をしている人たちが気になっていました。実家がある兵庫県明石市にはいなかった人たちで、お祭り的なものも感じましたね。右翼活動家の赤尾敏さんが総裁の、大日本愛国党の街宣です。私が中学生だったときに日教組大会が明石市であって、赤尾さんら右翼団体が押しかけ、大変なことになった記憶がありました。

珍しくて、どうしても撮りたくなったのですが、見た目が怖かったですから、数寄屋橋まで行っても話しかけられない日が続きました。「今日も駄目だった…」と、寮に帰るとしょんぼりです。赤尾さんは元国会議員でしたが、当時、取り上げる大手メディアはありませんでした。それだけに、「だったら、俺が撮りたい」と考えていたのです。(聞き手 芹沢伸生)

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