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元祖「山奥ニート」が都会の生活に戻った理由 変化した仕事観「どうとでも生きていける」

産経ニュース / 2024年9月28日 13時0分

共生舎に住んでいたときの石井あらたさんと長男=石井さん提供

生きるのに必要な分だけ稼ぎ、和歌山の山奥で共同生活を送る―。「山奥ニート」として発信してきた、石井あらたさん(36)が今年2月、10年にわたる山奥生活を終え、今は都会で暮らしている。最近では「あえて働かない」生き方も注目されるが、石井さんは、山奥ニートを経て「生き方はいろいろあるし、どうとでも生きていけると思うようになりました」と語る。

家族3人暮らし

「2024年2月1日をもちまして、山奥ニートを辞めることとなりました。」

石井さんは今年1月、自身のブログでこう宣言した。現在は、妻と長男(1)と3人で名古屋市内で暮らしている。「地元に戻ってきたので、都会生活とのギャップは正直ないんです」と話す。

10人ほどで共同生活を送っていた和歌山から名古屋へ。引っ越した理由を尋ねると、「いろんなことが重なった」と明かす。会社員の妻のリモート勤務が終わり、山奥で同居できなくなったこと。一緒に住んでいた子育て中の夫婦が引っ越してしまったこと。息子が自然よりも車など人工物に興味を持つタイプだったこと。さらに、「自分が最古参になり、山での過ごし方を新鮮に感じなくなってしまったんです。ニートに飽きたというのもあるかもしれません」。

今は家族3人暮らし。「予想外にさみしくない。子供は1歳ですが、もう意志があって立派な同居人なんです」。だが、家族だけで暮らすからこそ、シェアハウスでの結婚生活のメリットも分かった。「夫婦げんかの時に客観性が持てること。ほかの人の意見を聞けますよね。今は妻と自分しかいないので、どっちが正しいのかわからなくなることがあります」

「仕事が向いてない」

石井さんがニートになったきっかけは、大学の教育実習だ。ほかの人は楽しそうなのに、自分は楽しいと思えず、教師から叱責された。「仕事未満のことすらできないなら、あらゆる仕事は向いていない」。仕事をしないで済む道を探そうと考えた。

アルバイトもうまくいかず、引きこもりになり、世界の破滅を願うような日々。だが、友人に誘われ、平成26年、NPO法人「共生舎」の支援で和歌山の山奥に移住。しかし、移住3日後にNPOの代表が亡くなり、自主運営を始めることになった。

駅から車で1時間半以上の山奥だが、小学校の廃校舎を利用した住まいは家賃0円。移住した当初の共益費は毎月1万8000円だった。暑ければ川で泳ぎ、思いついたらすぐに声をかけて住民でバーベキュー。インターネット環境も整い、ネット通販も可能。「引きこもりの延長みたいな生活」と振り返る。

住民同士、お互いの事情に深く立ち入ることもなく、「ゆるい連帯のある群れのような感じでした。友達でもないし、家族でもない不思議な関係」と語る。好きな時間に寝て起きる、その日暮らし。時間からも人間関係からも自由だった。一方で、近所に住む高齢者と交流。梅農家の手伝いやキャンプ場でのアルバイトなどでお金を稼いだ。

山奥生活中の平成29年に結婚。出会った当時、妻は猟師をしていた。「たくましいところに惹かれたんです」と明かす。その後、妻は転職して会社員に。当初は別居だったが、コロナ禍を機に、妻がリモートワークできるようになり、共生舎で同居を始めた。

長男が生まれ、共生舎で子育てを始めると、生活は一変。それでも、「ゲームをする自由がなくなったかわりに、子供の将来を想像する自由ができた。意外に自由って多面的で大事なものでもなかった。自由を味わいつくしたからこそ、そう思うのかもしれません」

採算が取れなくても

山奥ニート生活は、仕事への価値観を変えた。

今年6月、石井さんの著作「『山奥ニート』やってます。」を漫画化した作品が単行本として発売された。漫画化を担当した棚園正一さんと話し合い、住人たちのエピソードを再構成したが、石井さんのテーマは「山奥ニートは、仕事なのか」だった。

農家の手伝い、キャンプ場でのアルバイトー。働くのに履歴書も必要なければ面接もない。「仕事って感覚はなかった。おばあちゃんの手伝いをしたらお小遣いをもらえる、みたいな感じでした」。地域のお祭りなど「採算がとれなくても価値がある仕事」を知った。「スタッフに給料を払ってお祭りをやろうと思うと難しいけれど、お祭りは社会的に意味のあること。すべてがお金で動くわけじゃないんです」

「運がよかっただけ」

石井さん自身は山奥ニートを「心の保険」と表現する。引きこもりだった石井さんは、山奥生活をきっかけに妻に出会い、子供にも恵まれた。「僕が生き延びられたのは運がよかっただけ。頑張ったからではないし、たまたまうまくいった。山奥ニートをやってみて、どうとでも生きていけると思えました」と語る。

最近では無職生活を動画で発信する人も増え、一時的に仕事から離れる「キャリアブレイク」など「働かないこと」も注目されるようになった。

「2つの世界が日本にあるといいと思うんです。資本主義で経済を回す都会と、競争に疲れた人が避難できる場所。山奥の暮らしは競争社会とは別の原理で動いていて、こういう場所は都会の人にもメリットがあるはず。海外移住の国内版ですよ。日本語も通じるし、いいんじゃないかな」

文章を書く仕事を受けつつ生活の中心は子育てだ。今の肩書きを訪ねると、少し間を置いてこう答えてくれた。「親業、ですかね。子供といい人間関係を築いていくのが目標です」(油原聡子)

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