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フライデー襲撃事件の対応に落胆 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<19>

産経ニュース / 2024年7月20日 10時0分

成田闘争の取材現場で(右)。撮影は元同僚の故・小原玲氏

《写真週刊誌「フライデー」(講談社)の専属カメラマンとして取材に明け暮れる日々。意気に感じながら「修行」に励んでいた》

目がくらむような忙しさでしたが、自分の名前で写真が掲載されることに、やりがいを感じていました。大学出たての社会人1年生に「忙しい」なんて文句を言う資格はありません。写真を発表できる舞台が与えられているだけで恵まれていましたから。ただ、競争は厳しく、大変でした。

当時、写真週刊誌の報道姿勢が批判されていましたが、私は単純に「修行」だと思うようにしていました。報道に関わった以上、取材対象は快く話をしてくれる人ばかりではありません。事件の容疑者や、疑惑の真っただ中にいる政治家など、カメラを嫌がる取材対象者はたくさんいます。そういう人物の目の前に飛び込んで「ババッ」と撮るんですから。そういう仕事もいつかはやらなきゃいけない。

「はい、こっち見て」みたいな仕事ばかりじゃありません。だったら、私は早く経験した方がいいと思っていました。気が重い取材でも、完全に割り切っていましたね。

《残念な思いが残った「フライデー襲撃事件」》

そんな中、がっかりしたのが、昭和61年12月にビートたけしさんとたけし軍団が起こしたフライデー襲撃事件。たけしさんの愛人がフライデー記者の強引な取材でケガをして、激怒したたけしさんが軍団と編集部に殴り込み、複数の編集部員にケガをさせた大事件です。

あのとき、襲われている現場の写真がなかったんです。たけしさんや軍団のメンバーが暴れているところが全くない。当時、他社の知り合いからは「本当はすごい写真があるんだろう?」と何度も聞かれました。写真週刊誌の編集部で起きた事件だから、みんなそう思いますよね。でも、本当になかったんです。

翌週のフライデーには血まみれの編集者とか、事件後の荒れ果てた編集部などが掲載されましたが、肝心のたけしさんと軍団の写真はありません。当時、記者会見した現場にいた編集部員は写真がない理由を問われ、「カメラマンがいなかったから」って言っちゃったんです。そのときの編集長は口をすっぱくして、編集者や記者にも「いつもカメラを持ち歩くように」と言っていたのに、このざまです。

カメラマンがいたらいたで大変なことになると思いますが、意地は見せてほしかった。血まみれになろうが、どつかれまくろうが。編集部員がそんな言い訳しなければよかったのに…。それで、その年末年始にカメラマンが当番で編集部に24時間、詰めることになりました。

そうしたら、自分の当番のときに事件が起きたんです。夜の10時くらいに大声が聞こえ、編集部のドアが開くと、血まみれの若い男が入ってきて…。手にナイフを持っていました。フライデー襲撃事件で「カメラマンがいなかったから写真がない」と言われたんだから、絶対に撮らなきゃ駄目です。「なんで、俺のときに…」って後悔しました。

すぐに、ストロボのスイッチを入れてカメラを持って編集部の机に飛び乗りました。後は犯人のいる反対方向に机の上で回りながら撮り続けました。相手は血だらけで怖かった。最後は「編集長を出せ」とわめく男がナイフを落としたすきに、警備員が捕まえました。通報を受けて大勢の警察官がなだれ込んできたのは、その後でした。

事件後、現場にいたデスクが「宮嶋君、どうだ」って言うから、「ちゃんと撮ってます」と言ってプリントも渡しました。でも後になって、容疑者が心を病んでいたことが分かり、「この写真はなかったことにする」となった。命がけの写真が日の目を見ることはありませんでした。

この年は2月にも悔しいことがありました。年功序列で行く海外取材を先輩が続々辞退し、最年少の私が出張。その後、フィリピンで政変が起きたとき、海外出張経験者の私には声がかからなかったのです。腐りました。(聞き手 芹沢伸生)

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