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国民党の特務だ! 黄昭堂氏に疑われる 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<15>

産経ニュース / 2024年8月15日 10時0分

台湾独立運動の指導者、黄昭堂氏の銅像=台南市郊外

《米国人マーク・マンコール氏の紹介で、国民党の一党独裁に異を唱えて台湾の民主化と独立を訴える機関誌「台湾青年」の発行人、王育徳氏と主要メンバーの黄昭堂氏に会うことに。実はこの初会合、実現するまで意外と時間がかかった》

黄昭堂のせいですよ。後年、本人に聞いたんだけど「こんな危険なことに自分から飛び込んでくるヤツは国民党の特務に決まっている」と警戒していたんだって。マンコールさんが「金美齢さんは大丈夫です。あの人は特務じゃないと僕が保証します」と言ってくれて、ようやく会うことができたみたい。

マンコールさんの自宅で4人で会食したんだけど、王育徳さんは普通に接してくれるのに、黄昭堂からは「こいつはあやしい」という雰囲気がありあり。彼はこの後もしばらく、私のことを疑っていた。

でも、これは仕方ないと思う。「台湾青年」に関われば反政府勢力として台湾には帰れなくなるし、台湾の家族にも危害が及ぶ可能性もある。日本の留学生の大半が逃げているこんな厄介なことに、なんで自分から飛び込んできたんだ、と思うのは自然だ。

あのころの国民党の一党独裁っていうのはそれだけ恐ろしかったし、日本に来て自由に発言ができるようになっていても、口をつぐんでいる人が大半だったからね。

しかも私は語学力を買われ、中華民国大使館から頼まれて通訳の仕事をやっていた。これはお金を稼ぐためだったけど、国民党政府に関わっていたわけでしょ。疑われるのも仕方なかった。私も気持ちの上では台湾は独立すべきだと思っていたけど、あのときは独立運動に飛び込む覚悟があったわけじゃなかったからね。

《「台湾青年」を発行する台湾青年社は後に台湾独立建国連盟となる。黄昭堂氏はその主席として、台湾の民主化、独立を目指した》

あの人ぐらいの人格者はいない。ある意味で自分の全人生、全財産を独立運動にささげた人だし。あの人は大金持ちだったのよ。彼の台南の実家は魚の養殖池をたくさん持っていて、サバかなんかを養殖していた。台湾大学を出て東京大学に留学、将来を嘱望されていたのに、「台湾青年」を立ち上げて独立運動に飛び込み、国民党のブラックリストに載って、日本では食べていくのも大変になった。

いつだったか、彼の子供が進学するときに20万円ほど貸したことがある。私は半分あげたつもりでいたんだけど、全額返してくれた。そして「利息は払わない。利息を払ったら、恩義がなくなるから」って言うのよ。利息を払ったら恩義でなくてビジネスになるのだって。そんな考えをする人だった。

主席として適任だった。独立運動といっても、いろんな人がいるわけよ。キューバ革命に触発され、飛行機をチャーターして台湾のどこかの山に降り、ゲリラ活動から始めよう、と夢物語を言い出したりとか。黄昭堂はそんな人たちをよくまとめていた。

奥さんが面白い人で、同じ台湾大出身の才女で、勉強はできるけど家事がまったくできない。私がみんなを呼んでご飯を食べるとき、気の利いた人だったら手伝うじゃない。一度も手伝ったことがない。座りっぱなし。でもそういう人だってことは分かっているし、私もそのつもりで呼んでるわけ。

家事といえば王育徳さんの奥さんが料理の達人でね。「台湾青年」は週に1回、主要メンバー数人が編集会議で王育徳さんの自宅に集まっていたんだけど、そのときに夕ご飯が出るわけ。それがあの時代、めったにありつけない台湾料理でね、みんなそれが楽しみで集まっていたんじゃないかな。私も何かのときに1回ごちそうになったけど、本当に料理の上手な方だった。あのころはみんな余裕はなく、ろくなものを食べてなかったからね。(聞き手 大野正利)

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