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陳スパイ事件で独立派の7人逮捕 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<20>

産経ニュース / 2024年8月21日 10時0分

赤坂プリンスホテル旧館

《昭和39(1964)年7月、世界中の台湾独立運動に激震が走る事件が東京で起きた。一党独裁に反対する機関誌「台湾青年」の執筆メンバーの1人が国民党のスパイと判明。黄昭堂氏(後の台湾独立建国連盟主席)ら主要メンバー7人が査問したところ、逆に告訴され、7人全員が警視庁に逮捕されるという「陳純真スパイ事件」だ》

国民党に情報漏洩(ろうえい)していた陳純真は早稲田大の学生で、私が総幹事(会長)の「台湾稲門(とうもん)会」のメンバー。「台湾青年」にも投稿していた。陳純真はお父さんの病気が重くなったので台湾に帰ろうとしたとき、大使館に呼び出されて情報提供への協力を求められ、さらに台湾に帰ってからも現地の特務に脅迫されたみたい。

《同じ年の8月に刊行された「台湾青年」には「私は国府(中華民国政府)大使館員余承業に脅迫されて台湾人を裏切った」という検証記事が掲載されている。記事には陳純真氏が事件のあった39年1月、大使館員に「スパイにならないと父親や親族に危害を加える」と脅され、その後は毎月呼び出され、「台湾青年」についての情報を伝えるよう強要されたとある》

国民党のスパイには特別に訓練されている人もいると思うけど、陳純真みたいに脅されてやむなく協力させられた、かわいそうな人もいる。陳純真もきっかけは親の病気だよ。親の見舞いに帰るという、なんでもないことからスパイに仕立てられてしまう。「台湾青年」に投稿していたから、マークされていたんだろうね。人の弱みにつけこむのが、当時の国民党のやり方だった。

陳純真はこれで一生、「裏切り者」のレッテルを貼られたわけでしょ。だから一党独裁の犠牲者ですよ。人間弱いからね。言うことを聞かなきゃ、親族に危害を加えるって言われたら、聞かざるを得ない。彼はこれでもう永遠に浮かばれない。じゃあ国民党が彼の面倒見るのかっていうと、絶対見ないわけじゃない。こうやって人生をめちゃくちゃにされてしまう。独裁政権の怖さはそこにあるのよ。

《情報漏洩に気づいた黄昭堂氏ら7人が査問のため、陳純真氏を呼び出した》

この日のことはよく覚えている。陳純真は私が呼んだ、彼は早稲田の子だから。夫の周英明といっしょに査問の会場に連れていったんだけど、私も周英明も修羅場には向かないと思われたのか、黄昭堂から帰れと言われた。だから査問の中で起こったことは直接は見ていない。

これは後で聞いた話だけど、黄昭堂たちがまず自発的な告白を促したところ、陳純真は最初、「裏切ってはいない」と激高して否定した。でも主要メンバーには動かぬ証拠がある。なかには血の気の多いメンバーもいて、その人が近くにあった鉛筆削り用の小型ナイフを手にして、陳純真に飛びかかってしまったんだって。

もみあいは一瞬だったんだけど、陳純真は肩に浅い切り傷を負った。手当ての後に査問を続け、陳純真は途中から涙を流しながら情報漏洩の事実を認めた。そして査問が一段落したところで帰宅させた。

《国民党が反撃に出た》

本人が話したのか、この査問が大使館に知られることになり、立ち会った7人を大使館付の弁護士が告訴した。偶発的な傷害事件は「計画的な集団リンチ」とされ、「殺人未遂」や「破壊活動防止法」での告訴ももくろんだというから、彼らの意図がよくわかる。

でも警視庁は動いた。7人を傷害や監禁、強要などの容疑で逮捕し、「台湾青年」の編集本部など関係8カ所を家宅捜索した。私たち夫婦はその場にはいなかったんだけど、ある夜、知り合いの国会議員から電話があり、周英明に証拠隠滅を手伝った容疑がかかっていると教えてくれ、2人で話し合って逃亡することにした。異郷の地にあてなどなく、とりあえず赤坂プリンスホテルに向かった。午前2時を過ぎていたと思う。(聞き手 大野正利)

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