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永山事件 4人射殺 死刑判決は後世の基準に 警視庁150年 51/150

産経ニュース / 2024年6月25日 7時0分

「ガードマン殺さる 東京プリンスホテル」(昭和43年10月11日付『産経新聞』)「こんどは老夜警射殺 京都・八坂神社」(14日付同)。43年10~11月、東京、京都、北海道、愛知で、警備員やタクシー運転手ら4人が相次いで射殺された。警察庁は連続射殺事件として広域重要事件に指定。翌年4月、東京都内で警視庁に逮捕されたのは当時19歳の永山則夫だった。

永山の獄中手記『無知の涙』によると、永山は北海道網走市に8人きょうだいの四男として生まれた。リンゴ剪定(せんてい)職人だった父は賭博に明け暮れ、生活は困窮。母は故郷の青森県に戻り、永山も引き取られた。小学生のころから新聞配達を始め、中学卒業後に集団就職で上京。短期間で職場を転々とするなど、生活は安定しなかった。

「貧しい環境が悪へ」(44年4月8日付『産経新聞』)。永山は盗みなどを繰り返す中、侵入した米軍横須賀基地で拳銃を手に入れ、1カ月足らずで4人を射殺。逮捕時のやつれた表情には「一人の地方出身少年の悲しい一面がのぞいていた」(同)。

獄中で読書にふけった永山は「僕は無知であるから、真の敵を知らず、罪もない人を殺してしまった」と語るようになる(『創』平成9年10月号)。自身も次々と小説などを発表し、新日本文学賞も受賞。量刑が争われた裁判では初公判から20年を超えて死刑が確定し、平成9年に執行された。最高裁で示された被害者数や残虐性などの死刑適用基準は「永山基準」と呼ばれるようになった。(橋本愛)

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