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夫婦でブラックリストに載る 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<19>

産経ニュース / 2024年8月20日 10時0分

大学院生のとき、台湾稲門会の新入生歓迎会を開催 =昭和38(1963)年ごろ

《昭和39(1964)年、独立運動に関わる周英明氏と結婚した。その1年前には通っていた早稲田大に留学生の団体「台湾稲門(とうもん)会」を創設、初代総幹事(会長)となっていた。当時、大陸反攻をもくろんでいた中華民国にとって独立につながる「台湾」の名称は禁句だった》

独立運動に加わると覚悟を決めて「台湾稲門会」を設立し、総幹事になったんだけど、これには中華民国大使館が大慌てでね。それまで首脳会談や公的なイベントなど多くの場面で大使館の通訳を務めていたから。国民党政府としてはなんで独立運動に関わっていたヤツに通訳を頼んだんだ、となるわよ。大使館は「アイツはお金で独立派に転んだ」と釈明していたみたい。

台湾稲門会の立ち上げでは誤算もあった。当初は総幹事を羅福全(後に台北駐日経済文化代表処代表)にやってもらおうと思っていた。思想も人物もしっかりしているので、問題ないと安心しきっていたんだけど、頼みに行ったら米国留学が決まっているという。それで私がやることになった。まあ、これは事前に確認すべきだったよね。

《台湾独立派の夫婦としての生活が始まった》

結婚したとき、周英明も私もまだ大学院生で、ともにアルバイトをしながら研究論文も書かなきゃならない。大使館の通訳の仕事がなくなったので、夫婦で翻訳などをやっていた。これはお互いの性格があって、粘り強く緻密な周英明は日本の輸出製品の取り扱い説明書など長い翻訳が担当。私は長いのはダメで、主にキャッチコピー。日本の自動車メーカーが香港のリーダーズ・ダイジェストに載せた広告は、短時間でいい稼ぎになったわね。

家庭教師ではこんなことがあった。日本女性と結婚した台湾人がいて、子供に国際的な教育を受けさせたいというので、都内からわざわざ横浜の英語を使う幼稚園に通わせていた。で、小学校は都内のインターナショナルスクールがいいと言う。でも入学試験で落ちるわけよ。だってお父さんもお母さんも英語が全然できないし、いくら幼稚園で勉強したからといっても、すぐできるわけないから。

でもお父さんが諦めきれないで、家庭教師だった私に「インターナショナルスクールに行って頼んでくれないか」と言う。信じられないでしょ。で、大胆不敵にも校長先生にアポを取って出かけたわけ。「私が責任を持ちますから」「なんとかチャンスを与えてほしい」と頼んだら、なんとOKになったのよ。いいかげんな時代だったからね。

入学後の最初の試験について、私は考えた。生徒たちは入試を突破したわけだから英会話はできるという前提だろう。これは単語の試験だと。そこでスペリングを徹底的に仕込んだ。そしたらいきなりクラスで2番よ、入試で落ちちゃった子が。これには校長先生が「美しい誤解」をしてね。私を立派な家庭教師だ、と。大した家庭教師じゃないのにね。それから誰かから進学の相談がくると、校長先生は「ミス・キンのとこへ行ってみれば」となった。世の中って、向こうが勝手に思い込むことってあるわけよ。

《周英明氏のパスポートが取り上げられた》

結婚して数カ月後、周英明のパスポートの有効期限が切れたので、大使館に更新を申請しに行った。それがいつまで待っても大使館から、連絡がこない。そこで気がついた。台湾独立を目指して反体制運動をやっている周英明は国民党政府のブラックリストに載って、パスポートは没収されたんだろう、と。

夫だけ没収ということはないだろう。そこで私も自分のパスポートを破り捨てた。これで夫婦とも台湾には帰れなくなったが、台湾独立への覚悟はさらに固まった。日本で住み続けるため、日本の法務省に申請して、特別在留資格制度を適用してもらった。(聞き手 大野正利)

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