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昭和63年生まれの私 京舞井上流舞踊家、井上安寿子さん「母がつないだ流儀、未来に」 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース / 2024年12月30日 8時50分

都をどりの総仕上げ「大ざらえ」に臨む祇園甲部の芸舞妓ら(渡辺恭晃撮影)

井上流の歴史で一番長い「昭和」

京舞井上流は江戸末期、京都で誕生した流派です。初世井上八千代(1767~1855年)から、お師匠さん(母の五世井上八千代)まで、女性によって伝承されてきました。上方舞の伝統を踏まえ、女性の体を生かし、おいど(お尻)を下ろして腰を安定させ舞うのが特徴です。

昭和の終わりに生まれた私は物心ついたときには平成で、昭和の記憶はありません。ただ200年以上にわたる京舞井上流の歴史で「昭和」は一番、長かったですから、その時代を含め受け継がれた芸をつなぐ立場にあり、「遠くて近い」感覚です。

父は観世流能楽師の九世観世銕之丞(かんぜてつのじょう)です。家では京舞と能が共存し、子守歌のように三味線が鳴り、謡(うたい)の声が響いていました。それが普通と思っていたら幼稚園に行って初めて、特殊らしいと分かりました。

一緒に謝ってくれた曽祖母

平成3年、2歳半で曽祖母(四世井上八千代)と母に師事する形で、お稽古を始めました。私は今でもそうですが振り覚えが悪い。小学生の頃、発表会直前なのに全然舞えず、母に真っ暗な蔵に連れていかれました。抵抗するあまり母の着物のたもとを引きちぎったこともありました。そんなとき、いつも一緒に謝り、助けてくれたのが曽祖母でした。

名人の誉れ高かった曽祖母ですから、余計に「こんな偉い人が自分のために一緒に頭を下げてくれている」という責任を子供心にも感じ、頑張らないといけないと思いましたね。お稽古をもう一回みてやってくれ、という曽祖母の気持ちもうれしかったですし、芸の継承の上でとても力になったと思います。

日本舞踊の良さって、血縁はなくとも、芸を通じてお師匠さんとお弟子さんが家族のようにつながれること。芸舞妓さんの「お姉さん」制度も同じで、〝妹〟が失敗をすれば〝姉〟は一緒に謝るんです。その関係性が見えるのが、すごく素敵だと思います。

「昭和」的な価値観なのかもしれません。今の時代、個性や自分らしさばかり問われます、でも、じっくり時間をかけて洗練され、人から人へと連綿と続いてきた粋や芸は、家族のような人間同士の信頼関係や責任を伴って初めて継承されるものではないでしょうか。

日本舞踊をもっと日本の方に

井上流のお弟子さんはお素人さんと、花街の芸舞妓さん中心です。京都、花街とは切っても切れない小さな流儀だからこそ、母は「都をどり」の本番直前まで、舞台の質を高めようと魂と愛を込め、指導しています。私も、母がしっかりつないだ流儀を、今まで支えてくださった方のお力も借りながら、未来に伝えていきたい。

井上流が軸となる4月恒例の「都をどり」は明治5年、外国人向けに始まったこともあり、今も外国人はよく来てくださり、恵まれています。だからこそ今、日本の方にもっと、日本舞踊に目を向けていただきたい。

時代は変わっても、稽古場でお師匠さんとお弟子さんが真剣に向き合い、初めて生まれるものの魅力と輝きを今、改めて感じています。(聞き手 飯塚友子)

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