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昭和47年生まれの私 歌手・女優、西田ひかるさん 帰国子女が見た昭和「欽ドンの世界」 プレイバック「昭和100年」

産経ニュース / 2024年11月24日 8時50分

インタビューに答える歌手・女優の西田ひかる=大阪市中央区(鳥越瑞絵撮影)

汲み取り式トイレにショック

神奈川県で生まれましたが、父の仕事の都合で生後10カ月で渡米し、13歳までカリフォルニア州で過ごしました。でも毎年夏と冬には祖父母宅へ帰り、いとこらと一緒にテレビを見たりして過ごしていたので、子供の頃の「昭和」はテレビで見た世界が中心です。

大好きだったのは萩本欽一さんのバラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ系)。日本のお茶の間はちゃぶ台があってこんな雰囲気なのかとか、日本の一般的な学生は、「良い子」役のヨシオみたいな感じなんだとかインプットしていました。米国で教育を受けていたので、日本語の漫画や本を読むのは得意ではなく、ドラえもんやサザエさんもテレビで見るばかりでした。

日本で夏にプールに行くと、子供はみんな紺の水着に白い帽子という格好。通っていた米国の学校ではプールの授業でみんなカラフルな水着を自由に着ていたのでショックでした。日本の制服とか体操服も米国の公立学校にはなく、すごく違和感がありました。

子供心に一番衝撃だったのは日本のトイレです。祖父母の家のトイレは当時まだ水洗ではなく、汲(く)み取り式で…。米国は水洗が当たり前で、トイレットペーパーも備え付けでありました。でも、日本は公衆トイレも汲み取り式で、紙を持参する場合が多かった。オイルショック後の紙が貴重な頃で、ちり紙交換の車が走っていましたが、初めてちり紙交換(の車)を見たときは「なんだろー?」って感じでした。今考えるとエコな取り組みですよね。

西宮市に住んで18年「日本ナイズドされた」

帰国したのは昭和60年、日本でいう中学2年の頃です。都内のアメリカンスクールに電車で通いました。米国時代は母親に車で送り迎えしてもらってたのが、満員電車に毎日押し込まれる生活に変わりました。私服にサンダル姿で通っていたので、周りの学生やサラリーマンから「あの子、ちょっと違う」という目で見られていたと思います。

芸能活動は昭和63年、15歳から始めました。バブル絶頂期で芸能界も元気でパワフル。コンプライアンスなんて言葉がなく、みんな周りのことを考えるより「何かを作りたい」という勢いがありました。ドラマ撮影も連日夜通しで、作品づくりにこだわっていました。眠くて大変でも「そんなの当たり前」という感じが面白かったです。

デビュー初年から毎年夏、メディア関係者らを呼んでバースデーパーティーを開いていましたが、思いっきり仕事をして思いっきり遊ぶ時代。経費削減の今と違って海外ロケも予備日が多く、撮影が済めば遊ぶぞという雰囲気が、まさに「バブル」な感じでした。

結婚後、兵庫県西宮市に住んで18年。すっかり「日本ナイズド」されましたが、昭和を振り返ると、みんな同じ方向を向いていて今より多様性はなかったと感じます。帰国子女というだけで「アメリカンね」と特別視されるのが不思議でした。逆にネットもSNSもない不便さは良かったです。傷つきやすい10代で仕事を始めましたが、今と違って雑音のない環境でチャレンジできたのは本当にいい経験になりました。(聞き手 宮本尚明)

西田ひかる

にしだ・ひかる 幼少期を米ロサンゼルスで過ごし、帰国後の昭和63年に「フィフティーン」で歌手デビュー。同時期にミュージカル「小公子セディ」にも主演した。平成3年に主演したテレビドラマ「デパート!夏物語」では主題歌「ときめいて」もヒット。14年5月に結婚し、その後は子育てをしながら歌手活動などを続ける。今年12月14日から29日にかけて大阪、名古屋、東京で上演される舞台「Thank you very マッチde SHOW『ギンギラ学園物語』」(構成・脚本・鈴木おさむ、演出・近藤真彦)にも出演する。

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