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王ちゃんと首位打者・MVPの祝杯も伏兵が…「金田より気性がきつい」、謝罪した財界人 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<20>

産経ニュース / 2024年12月21日 10時0分

王貞治選手(右)と、前年最下位から3年ぶりのリーグ制覇に貢献=昭和51年10月

《昭和51年、移籍1年目に長嶋茂雄監督から「ファンのために戦え」と言われて覚醒した張本さん。巨人を3年ぶり、前年最下位から長嶋監督を初優勝へと導いた。そんなシーズンの最中、感激するシーンがあった…》

ちょうどオールスター休みのときでした。財界人による巨人後援会「無名会」の宴席で、東京・紀尾井町にある福田家に招待されました。無名会の河野文彦会長(当時三菱重工相談役)、瀬川美能留さん(当時野村証券会長)ら財界の重鎮たちがおられた。巨人から正力亨オーナー、ユニホーム組は長嶋監督と王貞治、私の3人が呼ばれました。宴席が始まってしばらくすると河野会長が私を手招きして「ま、一杯やりなさい」と酌をしてくれてこう言われました。

「実は、金田(正一さん)より君の方が気性がきついという噂を聞いていた。そういう男が入ってきたら、チームがどうなってしまうのかと思って、私は君を巨人にもらうのを反対したんだ」と切り出したんです。

以前、金田さんが(国鉄から40年に移籍、5年間)巨人に在籍したとき、選手との仲があまりよくなく、チームの雰囲気が悪かったらしい。そこを河野会長は心配されたようなんです。それで瀬川さんに相談されたという。私は瀬川さんにかわいがってもらっていたし、「張本はそんな男じゃありません」と言ってくれたらしい。

河野会長は「瀬川さんが君を保証したからオーケーを出したんだが、君の活躍を見たら、君は王を立てて、陰になって支えてくれている。瀬川さんが言った通りでしたよ。張本くん、私は恥ずかしいよ」と頭を下げられた。褒められたんですよ。恐縮しました。宴席の最後に長嶋監督と王と3人で「同期の桜」を歌ったのを覚えています。51年は前年最下位から優勝し、長嶋監督を胴上げできた。翌52年と連覇した。少しはお役に立てたかなとは思ってます。

王とは同期でセ・リーグ、パ・リーグの違いがあったが、私生活でも非常に近い間柄ですね。娘が幼児教室に入るのを紹介してくれたのは王だった。恩義がある。よく一緒に飯を食ったね。入団は同じ年(34年)、王は川崎の多摩川合宿所(新丸子)に住んでいた。東映の合宿所は駒沢です。練習場は多摩川を挟んである。まだ銀座に行かない18、19歳のころ、自由が丘でご飯を食べてたんだ。

成人してからもそう。食べるところ、飲むところが、いつもかぶるんだ。シーズン中でも会う。ちょっと給料が高くなって生意気に銀座に行きだすと、また一緒になる。若造が行くような店じゃないけどばったり会う(笑)。

《51年、〝OH砲〟のアベック本塁打は8試合、6勝2分けの〝勝率100%〟。王さんは、49本で2年ぶりに本塁打王へ。張本さんは13年ぶりに全130試合に出場、22本塁打、93打点。シーズン自己最高となる182安打、打率は3割5分4厘7毛。中日・谷沢健一さんとは熾烈(しれつ)な首位打者争い…》

私は全日程を終えていた。実は(中日最終戦の)前日、王と銀座で乾杯をした。祝杯を挙げたんです。ホームラン王に返り咲いた王は「張は首位打者だ。首位打者を取ったらお前が最優秀選手だな、決まっているじゃないか。お前が巨人に入って打率が3割5分以上打って、ホームランだって」って。「いやぁ、ワン(王)ちゃんだよ」と乾杯しながら飲んでいたんですよ。そうしたら谷沢がね…(結局、王がシーズンMVP)。

《谷沢さんは広島とのシーズン最終日で3安打を放ち3割5分4厘8毛で逆転。張本さんは〝6糸差〟という史上最小差で2位に甘んじた》

後で聞いた話ですが、谷沢はあのとき、家には帰らずに合宿所に泊まったそうです。「明日、ひっくり返す、3本打てば…」って。そして本当に打った。気持ちが入っていた。立派ですよ。(聞き手 清水満)

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