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「丸越万太」が受けてSET旗揚げへ 劇団名はチラシから「世にも恐ろしい、血も凍る…」 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<10>

産経ニュース / 2025年1月11日 10時0分

1980年代の劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」

《目標の喜劇役者になるために入った大江戸新喜劇だが、作風に違和感を持った三宅さん。テーマもストーリーも古いと感じていた。笑われるのではなく、きちんと作りこんだ笑わせる芝居がしたいと考えた》

浅草喜劇のような人情に逃げちゃいけない、みたいな感じです。突っ張ってましたね。「モンティ・パイソンみたいな、もうちょっと乾いた笑いを入れないと」と思っていました。

《モンティ・パイソンは英国のコメディーグループ。シニカルでナンセンスな笑いが特徴。日本では、英国で製作された番組を昭和51年に東京12チャンネル(現テレビ東京)で「空飛ぶモンティ・パイソン」として放送し、話題となった》

そのうちにギャラの遅配とか、ありがちな問題も出てきて、仲間の不満が膨らんできた。そこで(「大江戸新喜劇」を主宰する)才賀明さんに「自分たちだけで1本芝居を作らせてもらえませんか」って頼みました。

《後に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」の座付き作家となる大沢直行氏が脚本を書き、三宅さんが主演の「名探偵・丸越万太の不完全殺人事件」を完成させた。三宅さんが考える、歌って、踊って、笑わせるミュージカルコメディーで、SETの原点となる作品だ》

才賀さんも1本書いて、東京・池袋のシアターグリーンで2本立て興行を打ちました。勝負ですよ。そうしたら、丸越万太がめちゃくちゃ受けて。で、「よし、劇団作ろう」って決めたんです。そのときに15人で(大江戸新喜劇を)抜け、劇団を作ることにしました。メンバーには斎藤洋介君や永田耕一君、2回目の団員募集で入った小倉久寛君らがいました。

劇団の名前をどうしようかというときに、斎藤君が作った「不完全殺人事件」のチラシに「世にも恐ろしい、血も凍る、スーパー・エキセントリック・シアター」というコピーがあって、みんなで「これはいいじゃない」となった。だから、斎藤君が名付け親みたいなものなんです。

ところが旗揚げのとき、斎藤君にいい仕事があったようなんです。鶴田浩二さんが主役のNHKドラマ「男たちの旅路」。車椅子の青年役で、こっち(SET)に来るとその仕事がなくなっちゃう。僕も「絶対に(NHKドラマの)仕事を取ったほうがいい」と思ったし、斎藤君にはそう言いました。斎藤君はぎりぎりまで悩んだようです。

《斎藤氏は後日、「(最大の理由は)大江戸新喜劇の連中が、みんな三宅のまねをするようになっちゃった…(略)…一緒にSETをやっていたら、三宅の陰にかくれてしまって―」(三宅裕司著『錯乱の飛翔星人』、朝日出版社)と述懐している》

僕だけ違いましたからね。演劇養成所から来た人たちの中に、1人だけ落語研究会やジャズコミックバンドという、学園祭で活動した人間がいるわけです。僕は笑いのことばかり考えていましたから。

笑いの劇団ですから、「こういうところが古いんだ」「今、こういう落とし方をしないとだめなんだよ」とか言うと、みんなついてきます。その代わり、僕には芝居の養成所で習うことを全く習っていないコンプレックスがあった。「俺の言うとおりにしろっ」っていう演出ができなかったんです。

笑いの演出がなぜやりやすいかというと、お客さんが実際に笑ってくれるからです。「三宅の言ったことが正解なんだ」と結果が見えるんですね。芝居でお客さんが感情移入して、ぐっときているかどうかなんて、なかなか見えませんよね。(聞き手 慶田久幸)

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