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大阪でも行列の北九州「資さんうどん」 ユニクロ出身社長・佐藤崇史さんが考える「次なる最高の一杯」 一聞百見

産経ニュース / 2024年6月14日 14時0分

資さんの歴史を書いた壁の前に立つ佐藤さん(南雲都撮影)

北九州市のソウルフードとして親しまれている「資さんうどん」が大阪に出店して半年あまり。舌の肥えた大阪人を満足させて今も行列ができる人気ぶりだ。店を展開する株式会社資さん(北九州市小倉南区)の社長は生え抜きではない。外資系コンサルティング会社やファーストリテイリングで経験を積んだ経営のプロ。創業者の遺志を継承しながらも「第二創業」をかかげ、成長路線にかじを切った。「最高の一杯を日本中、世界中に届ける」と決意を新たにしている。

平日の午後2時過ぎ、ランチタイムを過ぎてもまだ行列ができていた。資さんうどん今福鶴見店(大阪市鶴見区)は関西1号店として昨年11月20日にオープンした。大阪メトロ長堀鶴見緑地線の今福鶴見駅から徒歩5分。商業施設の一角で他の飲食店としのぎを削る。

「記録的な売り上げです」と資さんの社長、佐藤崇史(たかふみ)さんは満面の笑みを見せた。大阪人は味にうるさく、コスパにも厳しいといわれる。ゆえに相当の覚悟をもって出店に臨んだ。

「全社の力を結集するプロジェクトを立ち上げ、1年前から周到に準備してきました」

昨年7月、大阪や兵庫のホームセンターで、1週間限定でキッチンカーによる販売を行った。8月から9月にかけて大阪・梅田の阪神百貨店地下飲食フロアで2週間限定で販売。開店前から200人を超える行列ができ、最長2時間半待ちとなった。9月には大阪城公園の野外イベントにキッチンカーを出したところ、来場者による人気投票で60店舗中の第1位になった。

10月、北九州市戸畑区の旧安川邸で行われた竜王戦で、八冠の藤井聡太竜王が昼食の「勝負めし」に資さんうどんの定番「肉ごぼ天うどん」を注文した。これがネット上で話題となり、追い風になったと思われる。

「大がかりな宣伝はしませんでした。これまで通信販売でご購入されたお客さまにご案内したのと、SNSで告知した程度ですね」

北九州の友人、知人、親戚を通じてその存在を知っていた人、旅行や出張で食べてくれた人が「待ってました」とかけつけた。後は口コミやSNSで次々に呼び込んでいったということだろう。

資さんうどんは「はなまるうどん」「丸亀製麺」に代表される讃岐うどんとは大きく異なる。

「麺は口当たりがやわらかで中はもっちり。だしはサバ節、昆布、シイタケでとる濃いめの味付けで甘さが残る。ガツンとくる、食べるとクセになります」

福岡県で観光客には豚骨ラーメンがおなじみだ。しかし地元の人たちはうどんをよく食べる。そのうどんは北九州と博多、地域で異なるという。博多は、あごだしであっさりしたものが多く、麺は北九州よりもやわらかい感じがする。

ラーメンはみそ、しょうゆ、塩、豚骨と味が多様で全国にご当地ラーメンがある。一方、うどんはほぼ讃岐に代表される。資さんが頭角を現すことで選択肢が広がり、新たなうどん文化が生まれるかもしれない。

「今回はホップ、ステップ、ジャンプのホップ。大阪で評価していただいたことは自信になりました」

メニュー100種類超「妥協なし」

最近、旅行ガイド本の人気シリーズ『地球の歩き方 北九州市』という本が出た。「資さんうどん」創業の地、同市戸畑区出身の卓球選手、早田ひなさんが「わが町自慢」として資さんを挙げ「試合前は必ず食べていた」「今でも家に帰ると必ず食べに行く」と紹介している。

JR小倉駅前からバスに乗り約30分、一枝入口で降りるとバス停前に資さんうどん一枝店(戸畑区土取町)がある。

創業者、大西章資(しょうじ)さんは昭和46年に知人からうどん店を譲り受けた。改良を重ねて納得の味が完成。51年、自分の名前から一文字とって屋号とし「資さん1号店」をこの場所で開業した。ロゴマークのデザインは大西さんの右腕として味づくりを支えた従業員に敬意を表し、彼の名字「井藤」から「井」が使われている。

「だしの開発に2年。何種類もの材料を組み合わせ試行錯誤したそうです。讃岐うどんの修業にでかけ、各地を食べ歩きし、研究を重ねたと聞いています」

かつて北九州市はものづくりのまちとして日本の高度経済成長を支えていた。明治期に設立された官営八幡製鉄所をルーツとする新日本製鉄(現日本製鉄)が戸畑区に進出。港で製品や材料の積み降ろしが行われていたという。

創業当時、港の労働者やトラックドライバーのお客さんも多く、昼夜問わず働く人のためにコンビニが生まれる前から「24時間営業」をかかげて彼らの胃袋を満たしていた。

「疲れて帰ってきた人を温かくお迎えするのがモットーでした。多くの人が毎日通うので、うどんだけではあきられる。要望にお応えするうちにメニューが増えていきました」

現在のメニューは100種類以上。麺類、丼もの、カレー、おでん、おにぎりなどの定番に加え季節限定メニューもある。なかでもひときわ異彩を放つのがぼた餅だ。

「地元の屋台では酒の代わりに、ぼた餅を出していたようです。トラブルが起こったりするのを防ぐためだったとも伝えられています。激しい労働の疲れを癒やすのに甘いものが好まれたとも思われます」

今や資さんを語るには欠かせない。北海道産の小豆を使用した自家製で、全店で年間540万個食べられている。

「資さんのメニューは一つ一つがホンモノです。一切妥協なし。就任早々、カレーのレシピには驚かされました。カレーの専門店でも通用するレベルでした」

人気メニューに「しあわせセット」がある。基本は、肉ごぼ天うどん(かしわごぼ天うどんも選択可)、カツとじ丼(たれカツ丼、天丼、カツカレーも選択可)、ぼた餅のそれぞれミニサイズを組み合わせたもので、定番が一度に味わえる。

佐藤さんは社長就任の約5年前、勤めていたファーストリテイリングの店舗視察で北九州市を訪れ、人に勧められて資さんうどんを食べている。

「実においしかった。こんなうどんは初めてと衝撃をうけました。東京でも絶対にうけると思いました」

だがその時、自分がその店の経営者になるとは夢にも思わなかったという。

日本の資さん、世界の資さんへ

平成24年、創業40周年を前に創業者の大西さんが病気療養を理由に社長を退任した。いい意味のワンマン経営で従業員の道標でもあっただけに、先行きに不安を感じる者は少なくなく、常連客の間でも「資さんがなくなるかも」と心配する声が上がったという。

いったんは銀行出身者が社長に就いたものの29年、当時43歳だった佐藤さんに「今後は若い人に引っ張ってほしい」と声がかかった。その日のうちに航空機のチケットをとり北九州へ。資さんうどんの店舗をまわり、食べまくった。

「どこもおいしかった。従業員に活気があり、お客さんの笑顔も最高でした。本物、本当に良いサービスは万国共通、どこでも通用する。前の会社(ソニー、ファーストリテイリングなど)でもそう思っていました。この感動を分かち合いたいと強く思いました」

社長を引き受けることを決断した。が、就任時の資さんは創業者がいなくなったことで、会社の方向性が見えにくくなっていた。

「止まった時計の針を動かすことから始めました。でも、初めから自分があれこれ言うべきではないと考え、まずは従業員みんなの話を聞くことに徹しました」

全店を巡回し、制服を着て一緒に働くこともした。やがて、いろんなことが見えてきた。部長級の幹部社員を集めて合宿をした。

資さんうどんはなぜ支持されているのか。変えるべきところがあるならどこか。議論をたたかわせる中で、経営体制変更後初となる筑豊地区への出店で意見が分かれた。

リスクをとって成長路線をとるか、安定した経営に徹するか。反対意見もある中、出店に踏み切ったところ、結果は大成功だった。さらに東京で開催される北九州市のPRイベントに出店。これも1時間半待ちの行列ができるほどの大人気で、「小さな成功を積み上げることで不安が払拭されていきました」と話す。

ただ、思い付きや気合で意思決定してきたわけではない。周到に準備し、経験豊富なベテラン社員に加え大手外食企業からの転職組の知識やスキルも生かしてきた。

「資さん流にアレンジしながら、店舗運営の仕組みやマーケティング・商品開発などをどんどん進化させて、既存店の改善を進めるとともに新規出店のハードルを下げていきました」

新型コロナウイルス禍では売り上げが激減したが、「業務の効率化で筋肉質の組織に生まれ変われました」。コロナ禍が明けると、外国人観光客の来店も増えた。一時中断していた海外進出の構想も練り直しつつある。

「北九州にはご恩がある。地元のお店、お客さまを大切にしながらも、日本の資さん、世界の資さんを目指す。北九州のソウルフードをおいしいと思ってもらえば、結果的に北九州の活性化にもつながると考えています」

社長就任時、店舗数は39店だったが、現在68店に増えた。今年6月は熊本県八代市、今夏には兵庫県明石市、大阪市西成区で計3店舗がオープン、71店に。売り上げも就任前の平成29年度の70億円超から令和5年度には124億円に増え、6年度は150億円に達する見通しとなっている。

会社の成長には人材教育が大切で、そのための仕組みを考える。それが経営者の仕事だ。

「誰かが敷いたレールに乗っていくのではなく、自らレールを敷いていきたい人を求めます。人の成長が会社の成長をひっぱっていくからです」

企業理念は「幸せを一杯に。」。実現に向け今はアクセルをいっぱいに踏む。(九州総局 安東義隆)

さとう・たかふみ 昭和49年、広島県生まれ。平成9年、慶應義塾大環境情報学部を卒業後、ソニー、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)を経て18年、ユニクロを展開するファーストリテイリングに転じ、経営変革・グループ戦略・人事・店舗運営・社長室などの責任者を歴任。30年3月より株式会社資さんの代表取締役社長。

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