漫才に格安塾経営、農業、仏教…M-1王者「笑い飯」哲夫さんが切り拓く「6足のわらじ」 一聞百見
産経ニュース / 2024年12月20日 11時0分
お笑い芸人が講師を務める地域の小中学生に人気の補習塾「寺子屋こやや」。そんな一風変わった塾を大阪府内3教室で展開するやり手のオーナーは、人気お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さん(49)だ。教育格差をなくそうと経営に乗り出し今年で10年になるが、「ええ人感が出たら嫌」と当初はこっそり始めたそう。テレビで見ない日はない売れっ子芸人が塾経営に乗り出した理由とは。
平成12年に相方の西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成し、その翌年から始まった漫才日本一決定戦「M-1グランプリ」では9年連続で決勝に進出。当時の出場資格は「結成10年以内の若手」だったため、ラストイヤーとなった22年に頂点に立った。
劇的な展開から「ミスターM-1」と称されるも、「周囲から『よくそれだけ決勝に行ったな』と言ってもらうんですが、8回優勝できていないだけ」と苦笑する。
その時の優勝賞金の一部を充て、26年に始めたのが塾の経営だった。職を辞した大学時代の友人から「何か一緒にやろうや」と声をかけられ、真っ先に浮かんだのが教育だった。
「以前、吉本興業の社員から子供の通塾に月6万円かかると聞き、お金持ちの子しか塾に行けないようになったのかと驚いたんです」
自身が子供の頃に学んだ地域の学習塾は、数千円ほどの月謝で学べる寺子屋のような居場所だった。「どんな人でも気軽に行けるような塾があってもいい」と考え、自身が投資することで、生徒の月謝を割安にした。
教育格差への挑戦ですね、と熱っぽく問えば「ええことしているようなイメージがつくのが嫌で隠していたんです」とかわされる。こややには貧富の差にかかわらず、勉強が好きな子も嫌いな子も、まじめな子もやんちゃな子もさまざまな子供が集うという。
そんな生徒と相対する講師陣のほぼ全員、本職はお笑い芸人。生活のためのアルバイトが忙しくなり過ぎないよう報酬を支払うことで本業に力を入れてほしいという後輩への思いが根底にある。
「アインシュタイン」の河井ゆずるさんや「ツートライブ」など今をときめく芸人もブレーク前夜、教壇に立っていた。「子供にウケる授業をしようと試行錯誤すれば話芸の向上にもつながるし、子供も楽しく学べる。いい相互関係が築けるいいシステムを思いついたでしょ」
哲夫さんも多忙な日々の合間を縫ってオーナーとして塾には時折顔を出す。「でかい顔していって生徒に『誰?』みたいな顔されたりね」といたずらっぽく笑うが、印象的な生徒の存在を尋ねると「うーん、いろいろな子がいますね」と思案顔。やがてふっと顔をほころばせ「コロナ禍に、芸人として笑いの処方箋を与えてくれてありがとう、と手紙を書いてくれた小学生がいたな」。学び舎(や)へ思いをはせる表情は柔和な先生の笑顔だった。
大人気の博物館ネタに後日談
お笑い芸人と塾経営と聞くと一見、畑違いのようにも思えるが、学生時代は教員志望で、教育への思いは深いという。
奈良県の公立名門校・奈良高出身。「サッカー部が強く、ユニホームも格好良くてね。サッカーで女の子にモテようと猛勉強して」入ったが、残念ながらサッカー部での3年間はベンチを温め続けて終わった。
一方で、「友達との部活の帰り道にやる大喜利はずっとレギュラー。やっぱり俺、誰よりもオモロいよなって自覚はありました」と笑うが、そこからすぐにお笑い芸人を目指したわけではなかった。進学した関西学院大では教職課程を選び、塾講師や家庭教師のアルバイトにいそしんだ。
「人に教えることに喜びを感じて、教員になるつもりだったんです」
ところが、大学でも哲夫さんの話は友人らに大ウケだったそうで、「やっぱり俺はやばいくらいオモロい。これはもう職業にせなあかん」と自然な流れで、在学中にお笑い芸人の道へ進むことを決めた。
のちに相方となるのは西田幸治さん。コンビ結成前は互いに別のコンビを組んでいたが、時同じくして解散した者同士、組むことになった。2人とも「ボケ担当」で、ボケにボケで返す新しい漫才の形である「ダブルボケ」が生まれた。「オモロい芸人がいっぱい出てきていて、『もたもたしてられん、はよ西田と売れなあかんわ』という気持ちはありましたね」
コンビ結成翌年に始まった漫才日本一決定戦「M-1グランプリ」には、9回連続で決勝に進出。そんなM-1で笑い飯が披露したネタのなかでも、とりわけ人気が高かったのは、第3回大会で披露した「奈良県立歴史民俗博物館」。コンビ2人とも同郷で、学校遠足の定番コースだった「奈良県立民俗博物館」から着想を得たネタで、館内に展示された動く人形を巡り、入れ代わり立ち代わりボケの応酬が繰り広げられ、優勝は逃したものの、会場は大いに沸いた。
ただ、これには後日談が。「決定的ミスを犯していたんです。後から博物館に行ったら、『歴史』は入ってなかった。館内に動く人形もいなかった」。どうやら記憶違いだったそうだ。
別の博物館に関するネタをもう一つ。平成27年に奈良国立博物館の文化大使に就任し、現在も名誉サポーターとして関わりが続く哲夫さん。「就任のきっかけはやはり博物館ネタで?」と尋ねるとそうではなく、ダウンタウン・浜田雅功さんとテレビ番組で奈良の神社を訪れたときの出来事だったそうだ。
《鳥居の前で浜田さんが放屁したのに対し、すかさず哲夫さんがボケて「神聖な場所で何ということを!」と言いながら屁を吸い込んだ》
映像を見た博物館関係者が「『屁を吸ってまで文化財を守ろうとしている。なんて文化財に造詣が深いのか』と感動して、大使に選んでくれはったそうです」。
そんなアホな-。思わずツッコミたくなるようなオチだが、そこから始まった博物館との付き合いはもう10年になる。
本業はもちろん芸人だけど…
哲夫さんといえば、関連の著書も出すなど芸能界きっての仏教通として知られる。「小さいとき、家に来てくれたお坊さんのあげるお経のきれいさやリズムにしびれて」唱える言葉にどのような意味があるのだろうと興味を持った。
改めて、その意味を考えるようになったきっかけは高校の現代社会の授業で聞いた先生の言葉だった。「仏教は苦しみを乗り越える哲学や。煩悩の数が108なのは、四苦八苦(4×9+8×9)やから」。日常に仏教由来の言葉があふれていることも興味深く、生きる苦しみからの救済を説く仏教の教えはストンと胸に落ちた。
ただ、気恥ずかしさから仏教好きは家族にすら隠し続けてきた。ところが、ある収録で私物の抜き打ちチェックがあり、般若心経を大量に写経したノートが哲夫さんのかばんから見つかってしまう。「芸人仲間に『誰これ、気持ち悪っ!!』と散々いじられた」が、それだけで終わらず、「吉本から般若心経の本を書かへんか、と。会社ぐるみでいじってきた」。
出した本は「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経」。ベストセラーとなり、仏教は今や哲夫さんの代名詞の一つともなった。
8年ほど前、高齢の父から本格的に兼業農家を継ぐと、元来心配していた地球温暖化への危機感がより身近に感じられるようになった。「今年は暑すぎてキャベツの苗が育たなかった。僕らが小学生の頃、教室にクーラーなんて必要なかった。もう異常でしょう」
そこで話は再び塾経営へ。「塾で子供たち皆が賢くなってくれたら、未来への投資になる。そう思えば決して高過ぎる投資ではない」といい、地球温暖化を食い止めるための技術革新を次世代へ託したいのだと語る言葉が熱を帯びる。
プライベートでは3児の父。自然豊かな故郷で子育てがしたいと長女が小学校に上がるのを機に今年、大阪から奈良へUターン移住した。「今朝は子供を保育所へ送って、玉ねぎを植えてからNGK(なんばグランド花月)に立ちました」と笑う。
お笑い芸人を続けながら、前述の塾経営と仏教、農業、好きだった花火の解説-とフィールドをどんどん増やし、結果として新たな仕事へとつながり、いつしか5足の草鞋(わらじ)を履いていた。「いやいや。何となく偶数にしたいな。それなら本当に草鞋を編んでみようか」とひらめき、「草鞋編み」を加えて〝6足〟に。
「また会社が、ちゃんとすぐに仕事にしてくれまして」と長期休暇の子供向けに草鞋や注連縄(しめなわ)の編み方を哲夫さんが教える体験講座も始めると人気になった。
これらの話題で講演を依頼されることも増え、先日訪れた市では「7足目で市長なんてどうですか」と声をかけられた。「片手間で市長なんて…と言いつつ、ここまで増えたら8足目に知事というのもオモロいんちゃうか、なんて思いました」。ボケなのか、もしかして少し本気も混じっているのか。
NGKの出番の幕あいに応じてくれた取材を終え、休む間もありませんね、といえば、「移動時間が休み時間。新聞を読んだらよく眠れるんですわ」とあっけらかんと笑う。忙しくとも「あくまでも本業はお笑い芸人」。そう言い置いて、再び観客が待つ舞台へと戻っていった。
てつお 昭和49年、奈良県桜井市生まれ。関西学院大学文学部哲学科卒業。平成12年、お笑いコンビ「笑い飯」を西田幸治さんと結成。22年にM―1グランプリで優勝。幼い頃から般若心経に興味を持ち、仏教通としても知られるほか、27年から奈良国立博物館の文化大使を務める。著書に『えてこでもわかる 笑い飯 哲夫訳 般若心経』など。
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