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開業110年「誇りと感謝」忘れない福岡・JR門司港駅 大正レトロのおもむき残し 休日に訪ねる

産経ニュース / 2024年5月6日 11時0分

「私が定めた駅是は『誇りと感謝』です。JR九州の起点駅であり、長い歴史を背負い、多くの物語を生んできた門司港駅で働くことへの誇り、そして、そのことに対する感謝の気持ちを忘れないでほしいという意味を込めました」

JR鹿児島線門司港駅オリジナルの詰め襟制服を着用した第63代駅長の緒方潔さん(45)は、駅の方針を決める「駅是」に込めた思いをこう話す。

緒方さんの言う通り、大正3(1914)年から当時とほぼ同じ姿で建つ門司港駅は100年以上、ここを行き交う人々の物語を見守ってきた。展示室で一般公開されている「誇りの鏡」にまつわる話もその一つだ。物語は約80年前、敗戦直後の門司港駅で始まる。

昭和20年8月20日、引き揚げ者でごった返す門司港駅に、朝鮮半島の釜山から故郷の茨城県に向かう小さな子供の手を引く池田うた子さんの姿があった。臨月を迎えていたうた子さんだが、午後9時を過ぎたころ、陣痛が始まった。

駅員の土屋重利さんが異変に気付いたが、すでに病院の診察時間も終わっている。「一刻の猶予もない。このまま放っておくわけにはいかない」と土屋さんは近くにある自宅にうた子さんを連れていき、近所に住む女性に助けを求め、翌21日早朝、無事に男の子が生まれた。

それから12日目の朝、うた子さんは門司の恩を忘れないようにと「左門司(さもんじ)」と名付けられた男の子と、同じく朝鮮半島から引き揚げてきた夫とともに門司港駅から故郷に向かって旅立った。

自分の出生時の話を聞いていた左門司さんは結婚式に恩人として招待しようと土屋さんを何とか捜し出した。土屋さんは「当たり前のことをしただけ」と招待を断ったが、左門司さんの熱意に動かされ、結婚式に出席した。

昭和46年6月、左門司さんの父から結婚式の記念品として門司港駅に楕円(だえん)形の鏡が届いた。来歴に感銘を受けた第36代駅長の荻原幸雄さんは「国鉄職員の誇りである」として「誇りの鏡」と命名。かつては日々、駅員が身だしなみを整える際に使われていたという。今も由来が添えられた「鏡」に多くの人が足を止め、昭和の「人情話」に浸る姿が後を絶たない。

日本の近代化を支えてきた門司港駅は、今年2月1日に開業110年を迎えた。19世紀前半、欧州で始まったネオ・ルネサンス様式で建築された木造2階建ての駅舎は、当時のハイカラさを今に伝える。正面からは「門」に見え、九州と本州、中国の大連を結ぶ場所にふさわしい意匠といえる。

昭和63年には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定された。平成24年から約6年半かけて行われた大改修工事でも、先人たちが守った〝心意気〟を残すことに腐心したという。

緒方さんは「弊社の古宮洋二社長は日々、『駅を中心に元気を発信し続けよう』と社員に呼びかけています。この駅は門司に住む方々にとっても誇りであり、愛すべき存在なんだと思います」と話す。今、駅舎は地域の催し物や結婚式などにも使われている。次はどんな物語がここから生まれるのか。(千田恒弥)

メモ

門司港駅の2階には天皇陛下や皇族方が休憩された旧貴賓室があり、窓から見えるホームにはベンチも自動販売機もなく、暖かい色味の電球が訪れた人を大正レトロにいざなう。

かつての高級レストラン「みかど食堂」は現在、別会社が運営しており、結婚式なども開かれている。「旧三等待合室」は「スターバックスコーヒー門司港駅店」として使われており、当時の雰囲気を楽しめるスポットだ。

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