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竹しなる柔らかな風 千葉の「房州うちわ」 匠の技光る伝統工芸、積極アピール

産経ニュース / 2024年12月29日 12時0分

東京・浅草寺の「歳の市」に出展、販売する房州うちわのブース=12月18日、東京都台東区(岡田浩明撮影)

千葉県の房総半島で受け継がれている国の伝統工芸品「房州うちわ」を広く知ってもらう地道な取り組みが活発化している。うちわといえば夏をイメージするが、1年を通して生産地の館山市などでうちわ作りの体験教室を開いたり、県外の行事に出展したりして、素材の竹を生かした繊細な「匠の技」をアピールする。

21の工程

師走の12月14日、館山市の「道の駅グリーンファーム館山」で開かれた房州うちわの体験教室。来年の干支「巳」柄のうちわを製作しようと集まった参加者約10人を前に、主催する「房州うちわ振興協議会」所属の職人、吉良明美さん(51)が丁寧に手ほどきした。

製造は本来、竹の選別から始まる21の工程で作られ、ほとんどが手作業だ。この日の参加者は全工程のうち、絵柄の紙をうちわの骨組みに貼ったり、扇面の周りを和紙のテープで補強したりする最終段階の作業に挑戦した。

扇面の周りに突き出した余分な竹や紙を裁断する作業では、吉良さんが「滑らかな曲線になるように切ってください。ギザギザにならないように」とアドバイス。参加者は真剣な表情で取り組んでいた。

体験教室は房州うちわを身近に感じてもらうのが狙いで、各地で開催している。干支柄うちわの体験教室に参加した館山市の会社員、松田雅司さん(65)は自信作のうちわを手に、こう話す。「プラスチック製と違って、よくしなる。あおぐと、柔らかな風がくる。(自宅の)小さい門松のそばに飾って新春を迎えたい」

インバウンドにも好評

振興協は体験教室のほか、県外の伝統工芸に絡む行事に積極的に出展している。12月17~19日はインバウンド(訪日客)でにぎわう東京・浅草での年末恒例「歳の市」に販売ブースを構えた。

館山市でうちわ工房を営む三平智子さん(64)によると、浮世絵模様の絵柄を好む欧米人ら多くの訪日客が買い求めていたという。「千葉県出身の人も立ち寄ってくれた。『自分は千葉出身。懐かしいね』と言ってくれた。郷土愛を想起させるのかな」と、三平さんはうれしそうに話す。

房州うちわは「京うちわ」(京都府)と「丸亀うちわ」(香川県)に並ぶ日本三大うちわの一つ。振興協によると、南房総エリアは「女竹(めだけ)」と呼ばれる、しなやかな竹の産地だ。その細い竹の丸みを生かし、「丸柄」と呼ばれる持ち手が特徴だ。

歴史をさかのぼると、房総半島でうちわ生産が始まったのは明治時代。大正12(1923)年の関東大震災で被災した東京・日本橋のうちわ問屋が南房総地域に移住し、「房州うちわ」の生産が盛んになった。

大正末期から昭和初期には年700万~800万本ほど生産された。しかし、戦後、扇風機やエアコンの普及に押され、うちわの需要は先細り。最近の生産量は年数万本にとどまる。

全工程を1人で担う

担い手も減った。後継者育成に向けた入門講座を開催しているが、伝統を継承する業者は南房総エリアに計8事業者で、職人1人ですべての製造工程に対応できる「認定職人」は6人にとどまる。かつての分業体制の製造工程はほぼ消滅し、職人1人が全工程を担うスタイルが主流になった。

「うちわの太田屋」(千葉県南房総市)を営む振興協会長の太田美津江さん(72)は、実家の房州うちわ製造業を継いだ。家業の手伝いを始めてから約半世紀。業界の将来について「父は『1本、1本を手に取ってもらえれば需要はある』と繰り返していた。房州うちわで生計を立てられるよう、もっと業界を盛り上げたい」と強調する。

(岡田浩明)

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