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能登地震の廃材で作る万博案内板、大阪鋳物師ルーツの金沢企業が「始祖の地」で技アピール

産経ニュース / 2024年7月27日 9時0分

溶かした銅を砂型に流し込む職人=6月25日、金沢市

元日の能登半島地震の被災地で発生したアルミを含む廃材を用い、2025年大阪・関西万博の案内板を製作する取り組みを金沢市の企業が進めている。400年前の江戸時代に加賀藩主に呼び寄せられた鋳物師(いもじ)をルーツとし、砂型鋳造の技術を受け継いできた「金森合金」の24代目、高下裕子さん(38)は「被災者の思い出が詰まった廃材を案内板に加工することで、記憶を紡ぎたい」と意義を語る。

金沢市内の住宅街にある同社の工場で6月下旬、職人たちが息を合わせ、どろどろに溶かした銅を砂の型に手際よく流し込んでいた。伝統的な砂型鋳造という技術だ。

高下さんの父で23代目、金森和治さん(70)が社長を務める。高温で金属を溶かして不純物を取り除く精錬から、製品を作る鋳造までを手掛ける一気通貫が強みだ。機械部品をはじめ、ポンプや自動車関連部品など多品種を少量から生産する。父から事業承継中の高下さんが開発した銅合金の花器、アルミ合金の食器や菓子切りといった自社ブランドの商品もそろえる。

同社の歴史は慶長16(1611)年、加賀藩主の前田利長によって現在の富山県高岡市に集められた7人の鋳物師の一人、金森弥右衛門にさかのぼる。鋳物業発祥の地とされる河内(現在の大阪府東部)の鋳物師の流れをくむといい、子孫が「釜八」の屋号で鋳物商を始めた正徳4(1714)年を創業の年としている。

高下さんは「工程は数百年変わらないが、作る物は時代に応じて変わってきた」と解説する。武具や調度品に始まり、寺院の釣り鐘や鍋、釜を製造。明治44(1911)年に金沢に拠点を移してからは、繊維工場の部品や機械部品にシフトした。約20年前からは高い純度が求められるロケット部品も手掛ける。

昨年、中小企業が万博に参画する機会を提供する枠組みに、同社は案内板を製作する業者として名乗りを上げた。資源をいかに有効利用するかという社会課題の解決に向け、当初は石川県内で回収したアルミ合金のリサイクルを考えていたが、元日の地震を受け、被災地で出た廃材を活用する方針に転換。日本国際博覧会協会が今年5月に発表した11グループに選ばれた。選定委員からは「災害により廃材になってしまった製品を、改めて素材として循環させるというメッセージ性の強い提案」と評価された。

3~5基の案内板を製作し、会場となる人工島の夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)に設置する予定だが、場所や形状、大きさは決まっていない。今夏にデザインを固めるのと並行し、素材となる廃材の回収を進める。年内をめどに完成させ、年明けに納品する計画だ。

取り組みを知った石川県珠洲(すず)市の酒造会社からは、地震の激しい揺れでゆがんだ窓のサッシが寄せられた。ほかにアルミを含むフライパンや傘、空き缶なども活用できるため、全半壊した自宅を解体せざるを得ない被災者らに素材集めへの協力を呼びかけるという。高下さんは「地震で発生した廃材の割合を高めたい」と話す。

来年の万博は同社が長年培ってきた素材づくりとものづくりの技術を「始祖の地」大阪でアピールする絶好の機会。万博期間中は、製造工程を紹介するイベントも同社工場で開催するという。(吉田智香)

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