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西武、史上2度目の100敗ペース 63年前の103敗・近鉄は打てぬ、守れぬ、観客暴行

産経ニュース / 2024年7月6日 9時0分

岡本太郎氏がデザインした「猛牛マーク」は帽子やユニホームの袖につけられた。左は野茂英雄、右は仰木彬監督=1992年9月

プロ野球パ・リーグで西武がシーズン100敗ペースで最下位を独走している。過去、敗戦数が大台に乗ったのは1961年パの近鉄だけ。36勝103敗1分けで借金67、勝率2割6分1厘という記録的大敗。3年目で3年とも最下位に沈んだ千葉茂監督の辞任はもとより、外国人選手がヤジを飛ばした観客に暴行を加える事件もあり、散々なシーズンだった。

開幕から黒星を重ね、6~8月には3度の10連敗。7月23日のダブルヘッダー第2戦の大毎(現ロッテ)戦で連敗を10で止めた後、25日から8月6日まで再び10連敗。大毎戦も延長の末に辛くも逃げ切る展開だっただけに、21連敗を喫した可能性もあった。

とにかく他球団に比べて戦力が劣っていた。チーム防御率3・96はリーグ最下位。小玉明利、関根潤三ら打者も打撃ベストテンに入った選手、2ケタ本塁打を放った選手はいなかった。38盗塁は最多だった東映(現日本ハム)の133個より100個近く少ない。失策は遊撃手の矢ノ浦国満の47を筆頭にチーム計197。優勝した南海(現ソフトバンク)の114より83も多かった。唯一、高卒1年目の投手、徳久利明が15勝を挙げて新人王に輝いたが、24敗も喫した。

10月1日の南海戦で99敗目。続く4日のダブルヘッダー第1戦の西鉄(現西武)戦は勝ったが、第2戦で力尽きた。南海とのゲーム差は51・5、5位の阪急に18ゲーム差だった。千葉監督は「ナイン全体にいえることだが、選手にサラリーマン根性が残っている」とシーズンを振り返った。

負け続けるチームに追い打ちをかける事件が起こったのは6月3日の阪急(現オリックス=西宮)戦。五回の守備中、二塁手のブルームが「ヤンキー・ゴー・ホーム」と盛んにヤジっていた男性ファンに激高。フェンスを乗り越えてスタンドに乱入し、ファンの顔面を殴ったり、押し倒したりの暴行を働いたのだ。もちろんブルームは退場。刑事事件にはならなかったが、1週間の出場停止と罰金5万円の処分が課された。この試合も敗れて5連敗。借金は早くも21となった。

千葉監督は「どういわれようとブルームが悪い。おとなしいブルームが怒るぐらいだから、よほど腹にすえかねたのだろう」とコメント。プルームは「あの言葉は耐えられない言葉」と怒り心頭だった。ブルームは翌62年から2年連続で首位打者を獲得。後に南海でも活躍した。

当時の近鉄のオーナー、佐伯勇と出身が同じ愛媛ということもあり、チームづくりを託された千葉監督。戦前、戦後に渡り、巨人の名二塁手として、長嶋茂雄の前の背番号3を背負ったスターにとっては屈辱にまみれた3シーズンとなった。親会社が補強に熱心でなく、また選手にも「負け犬根性」がしみついていた。巨人から選手を獲得してチームの刺激にしようとしたが、思い通りにはいかなかったようだ。1980年に野球殿堂入りを果たすが、近鉄退団後、ユニホームを着ることはなかった。

監督としては不本意だった千葉だが、後世に3つの「レガシー」を残した。巨人時代の愛称が「猛牛」だったため、近鉄は千葉監督誕生を機にチーム名をそれまでの「パールス」から「バファロー」に改めた。千葉が去った翌年から「バファローズ」となり、現在も「オリックス・バファローズ」として生きている。

また、2004年限りで「大阪近鉄バファローズ」が消えるまで帽子やユニホーム、球団旗に使用された「猛牛マーク」も千葉監督とともに登場。ツノをふりかざしているようなデザインは芸術家の岡本太郎氏によるもの。2人は巨人時代から親交があり、岡本氏が引き受けたという。

そして3つ目はカツカレー。巨人時代、行きつけだった東京・銀座の洋食店でのこと、手っ取り早く満腹にしたいと考えた千葉がカレーライスの上にカツレツを乗せてくれと注文。それを見た店主が後に店の正式メニューに加えたことで、千葉は「カツカレーの発案者」とされている。63年前に「シーズン103敗」を経験した指揮官は意外な素顔をもっていた。

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