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「負けたままでは終われない」…柔道・斉藤立、脊髄損傷寸前で復帰に1年 再起へ悲壮な決意

産経ニュース / 2024年12月17日 11時0分

柔道グランドスラムの観戦に訪れ、報道陣の取材に応じる斉藤立=12月8日、東京体育館(相川直輝撮影)

柔道のパリ五輪男子100キロ超級代表、斉藤立(JESグループ)が雌伏の時を過ごしている。初出場の五輪は個人5位、団体戦では自身が決勝でテディ・リネール(フランス)に2度敗れるなどして銀メダル。4年後のリベンジに向けて再スタートを切ったさなか、違和感を覚えていた首が重傷だったことが判明した。手術に踏み切り、実戦復帰まで約1年かかることになった。五輪2大会連続金メダリストの故斉藤仁さんの次男で、まだ成長が期待される22歳。「俺はこんなもんじゃないと思ってる。負けたままじゃ終われない」と悲壮な決意を口にする。

五輪後に訪れた岐路

パリ五輪のメダリストたちが華々しくメディア出演している中、斉藤は人生の岐路に立たされていた。10月末、頸椎(けいつい)ヘルニアで首を手術。約2週間の入院やリハビリを経て、12月8日にグランドスラム(GS)東京大会の会場を訪れ「少しでも首にインパクトがあったら脊髄損傷になるような状況だった。ラグビー選手なら手術しないと引退しかないといわれて、手術するしかなかった」と明かした。

最初に異変を感じたのは3月下旬。右手先がしびれることがあり、5月に入ると力が入りにくくなった。同月の海外遠征の移動中に背中に激痛が走った。その後は痛み止めを服用しながら調整を続け、パリ五輪を戦ったが、帰国後に休養を挟んで練習再開したときには悪化していた。精密検査を受けた結果、ヘルニアだけでなく脊柱管狭窄(きょうさく)症が危険な状況になっていたことが判明。メスを入れるしかなかった。

強化プランも白紙に

4年後のロサンゼルス五輪に向け、この1年は肉体改造や海外合宿など、土台を作り直す予定だったが、プランは白紙に。気落ちしたが、励ましの声も多く届き「どん底だと思っていたけど、そういう人たちがいるということで、全然どん底ではないと思った。また頑張るしかない」と懸命に前を向いた。

本格的な練習復帰までは約半年かかる見通しで、実戦復帰は来年11月の講道館杯を目指している。「今はゼロになったので、やることが全部プラスになっていく。首以外、もともと弱かったところもしっかり鍛え直してしっかり土台を作っていく」と足元を見つめた。

「親子どうこうじゃない」

同僚の応援で訪れたGS東京大会の100キロ超級では、斉藤の1学年上で昨年の全日本王者でもある中野寛太(旭化成)が初優勝。ロサンゼルス五輪に向かう意欲を見せ、全日本男子の鈴木桂治監督は「俺が必ず金メダルを、という思いを持って出てくる選手が一人でも多くいなければならない」と競争の激化を歓迎した。

斉藤は「(柔道を)見てしまったらやっぱりやりたくなるし、きついところもあった」と振り返りながら「柔道したい気持ちを抑えて、焦らず徐々にやっていく」と自らに言い聞かせるように話した。

4年後のロサンゼルスは1984年に父が初めて五輪の金メダルを獲得した地でもあるが、今の斉藤の頭に浮かぶのは父の姿ではない。「もう親子どうこうじゃない。自分の誇りをかけて戦う。五輪で負けたことは脳裏に焼き付いている。俺はこんなもんじゃないと思ってる。負けたままじゃ終われない」。敗北の悔しさと選手生命の危機を乗り越え、さらに強くなって畳に帰ってくるつもりだ。(大石豊佳)

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