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「放送を止めない」 多言語情報発信を続けた被災ラジオ局、「バイリンガル」に込めた思い

産経ニュース / 2025年1月12日 19時14分

平成7年の阪神大震災で被災した外国人たちに災害情報を届けようと、発生当日の英語放送をはじめ、多言語で発信した神戸のラジオ局がある。「困っている外国人も多いはずだ」と被災を免れた機器を使って放送を継続。当時駆け付けたスタッフの一人は「『意地でも沈黙させるな、放送を止めるな』との思いだった」と振り返った。

《モーニングディライト、本日は予定を変更してお送りしております。6時13分、大阪管区気象台発表の地震情報によりますと…》

7年1月17日午前7時3分30秒。「Kiss-FM」(現Kiss FM KOBE、神戸市中央区)の緊急災害放送は番組ディレクターが読み上げたこの言葉から始まった。同日午前5時46分の地震発生から約1時間15分後だった。

神戸を代表するランドマーク「神戸ポートタワー」(同区)のほど近くに放送局を構えていた同社は、地震発生時には激しい揺れに襲われた。放送中だった録音番組は約30秒間中断したが、自家発電で復旧、引き続き音楽の録音番組が放送された。午前7時から予定されていた生放送はDJが出社できず、ディレクターが原稿を読み上げ、急場をしのいだ。

当時、技術業者として出入りしていた同社技術部の岸本琢磨部長(57)が午前8時すぎに放送局にたどり着いたときは、通路両脇のロッカーが倒れ、磁気テープが山のように転がり、足の踏み場もなかった。

ただ、放送機器は無事で、電気も非常用電源で確保されていた。「これなら放送を維持できるとの手応えがあった」。出勤してきた社員数人とともに、放送体制の立て直しを進めた。

「被災者は災害情報を求めているはず。災害情報を伝えよう」

集まったメンバーたちの思いは同じだったが、同社にはニュースを取材する報道部門がなく、普段は通信社の配信ニュースを読み上げる程度。当時はインターネットも普及しておらず、得られる情報は限られていたが、ファクスから絶え間なく流れる各機関の情報や、許可を得たテレビ局の放送を引用する形で伝えた。受験生の願書受け付け延長や銀行の営業など多岐にわたる内容をリスナーに届けた。

しばらくして英語が堪能な番組DJが到着。放送方針を話し合う中で、日本語だけでなく英語でも放送を行うアイデアが上がった。

幕末に開港した国際港・神戸港を有し、外国人も多く暮らす国際都市・神戸。「日本語が分からず困っている外国人も多いはず」と、アイデアはすぐに採用され、日本語でアナウンスした後、同じ内容を英語で話した。その後、ボランティアの力も借りて中国語や韓国語、ポルトガル語なども随時織り込んでいった。

「もともと多言語が使えるメンバーがいる土壌があったので、非常時でも機能した」と岸本さん。発生から1週間は24時間態勢で、食料配給や給水、炊き出しなど被災者の生活に密着した情報を放送。外国人を含む視聴者から「放送のおかげで東京まで脱出できた」「赤ちゃん用ミルクの情報に助けられた」と感謝の言葉が続々と寄せられたという。

阪神大震災からまもなく30年となり、災害時の多言語の情報発信は重要な課題として、国内各地の自治体や公共交通機関で取り組みが進むようになった。

インバウンド(訪日外国人観光客)の急増により多言語発信の必要性は増している。岸本さんは「多くの人が普段から他の言語に親しみを持てる環境になれば、非常時にも生きるはず。困っている外国人にどう伝えれば効果があるか、考え続けたい」と話した。(秋山紀浩)

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